*今日は「オリアム随筆 文学フォーラム2025」へ。昨日のアクセス数501・9位 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

今日は、午後、泉大津市で開催の「オリアム随筆 文学フォーラム2025」へ向かいます。

 

 

これは、毎年募集しているエッセイの公募作品賞の関連なんですが、

開催は知っていても、仕事があったりで、今まで一度も行ってはいません。

エッセイ賞自体は、地元の図書館にも募集のチラシが置かれていて、数年前に1度だけ、エッセイを書いて応募したことがあります。

結果は、見事に選外で、ああ、今のところ、エッセイを書く力も才能はないな、と確認できただけでした。笑

 

審査員に、お世話になっている(ミステリ作家の地元大阪だからか)有栖川先生もご出席なので、

これは行かねば、と行ってくるわけです。

(そんなことせずに、小説書けよ、と心の声がしますが)

 

 

 

ちょうどね、この間から言及している伊坂幸太郎さん編で、伊坂さんの選評も載っている『小説の惑星』の2番目に、

芥川賞作家の絲山秋子さんの短編「恋愛雑用論」が掲載されていて、

これがすごく面白くて、エッセイ風の短編小説だったんですよ。

 

実は、絲山さんの作品は2冊ほど、過去に読んでいるのですが、(申し訳ございません)全然、良さがよくわからなかったんです。

「単なる日常のモチーフを描いたありふれた風俗小説じゃんか、文章の煌めきも完成の見事さもないな」、というような、

畏れ多い感想しか持っていませんでした。

 

ところが、今回、読むと、すごく、すごーく、すご、すごーく面白い!

伊坂さんは「(喜怒哀楽に分類できない」複雑な感情について書かれている」や、

「小説ならではの楽しみに溢れている」と書いておられます。

 

別に、伊坂さんが書いたからでなく、読み終えてから、全く同様の感想を僕は持ちました。

僕はずっと自分が、100枚以上になると、いい小説が書けない欠点があると自覚はできているのですが、

それがエンタメ的な【ストーリー展開の呪縛】があって、人物の自律的な心象や、書かれていない「あれこれ」がないからだと、

その原因にたどり着いておりました。

 

ただ問題は、その無理やり、作者都合で、どこかで読んだ陳腐なストーリーに合わせてしまう【呪縛】から、どうしても脱却できなくて、

書けなくなっていたんですね。

無理して書いても、自分が読んでも駄作だ、としか思えないものしか書けない悲しさ、非力さ。

そこに、今も苦しんでおります。

 

で、今回の、この絲山作品に少し救われました。

いつも、長々と、このブログを書いている日々、書いているように、ただの散文なら、きっと流れるように言葉が僕は出てきます。

もしくは、評論的なレポートも同様に。

それこそ、内容さえあれば、一日20・30枚はザラに書けますよ。

 

今までの、自分の小説の書き方、文体を崩すこと。

それがある意味、今の僕の喫緊の課題なので、絲山作品はすごくヒントになりました。

そこへ(申し込みは、ひと月以上も前でしたが)、大恩ある有栖川先生のフォーラムの開催だったので、

これはシンクロニシティっぽいな、と察知しております。

 

 

 

この間から言及している、細谷功さんの著書から学んだ「抽象的に考える力」や「地頭力」で、今、僕は「自分2.0」バージョンに生まれ変わっております。

あとは、それをどう創作力へ転移させるかだけの作業ルートだけの問題なんですね。

 

結果は、どうなるか、収穫があるかは行ってみないとわかりませんが、もう中途半端な改稿でも、出すことを決めているので、

3/31の締切すらも単なる道標で、今の僕に怖いものはありません。

とにかく、この3月ギリギリまで足掻くこと。

 

ただ、その足掻くはいつもの締切まで「一生懸命に、盲目的に書く」という【展開呪縛】の枠内にある単純行為なのではなく、

本物の「小説らしさ」という「見えないもの」のゲットへつなげたいんですよね。

がんばります。

 

あつ。

昨日のアクセス数が「501」でした。(第9位。これでも凄いこと!)

まだまだ、脅威の数字で、皆様に感謝しております。