今日は、午後、泉大津市で開催の「オリアム随筆 文学フォーラム2025」へ向かいます。
これは、毎年募集しているエッセイの公募作品賞の関連なんですが、
開催は知っていても、仕事があったりで、今まで一度も行ってはいません。
エッセイ賞自体は、地元の図書館にも募集のチラシが置かれていて、数年前に1度だけ、エッセイを書いて応募したことがあります。
結果は、見事に選外で、ああ、今のところ、エッセイを書く力も才能はないな、と確認できただけでした。笑
審査員に、お世話になっている(ミステリ作家の地元大阪だからか)有栖川先生もご出席なので、
これは行かねば、と行ってくるわけです。
(そんなことせずに、小説書けよ、と心の声がしますが)
ちょうどね、この間から言及している伊坂幸太郎さん編で、伊坂さんの選評も載っている『小説の惑星』の2番目に、
芥川賞作家の絲山秋子さんの短編「恋愛雑用論」が掲載されていて、
これがすごく面白くて、エッセイ風の短編小説だったんですよ。
実は、絲山さんの作品は2冊ほど、過去に読んでいるのですが、(申し訳ございません)全然、良さがよくわからなかったんです。
「単なる日常のモチーフを描いたありふれた風俗小説じゃんか、文章の煌めきも完成の見事さもないな」、というような、
畏れ多い感想しか持っていませんでした。
ところが、今回、読むと、すごく、すごーく、すご、すごーく面白い!
伊坂さんは「(喜怒哀楽に分類できない」複雑な感情について書かれている」や、
「小説ならではの楽しみに溢れている」と書いておられます。
別に、伊坂さんが書いたからでなく、読み終えてから、全く同様の感想を僕は持ちました。
僕はずっと自分が、100枚以上になると、いい小説が書けない欠点があると自覚はできているのですが、
それがエンタメ的な【ストーリー展開の呪縛】があって、人物の自律的な心象や、書かれていない「あれこれ」がないからだと、
その原因にたどり着いておりました。
ただ問題は、その無理やり、作者都合で、どこかで読んだ陳腐なストーリーに合わせてしまう【呪縛】から、どうしても脱却できなくて、
書けなくなっていたんですね。
無理して書いても、自分が読んでも駄作だ、としか思えないものしか書けない悲しさ、非力さ。
そこに、今も苦しんでおります。
で、今回の、この絲山作品に少し救われました。
いつも、長々と、このブログを書いている日々、書いているように、ただの散文なら、きっと流れるように言葉が僕は出てきます。
もしくは、評論的なレポートも同様に。
それこそ、内容さえあれば、一日20・30枚はザラに書けますよ。
今までの、自分の小説の書き方、文体を崩すこと。
それがある意味、今の僕の喫緊の課題なので、絲山作品はすごくヒントになりました。
そこへ(申し込みは、ひと月以上も前でしたが)、大恩ある有栖川先生のフォーラムの開催だったので、
これはシンクロニシティっぽいな、と察知しております。
この間から言及している、細谷功さんの著書から学んだ「抽象的に考える力」や「地頭力」で、今、僕は「自分2.0」バージョンに生まれ変わっております。
あとは、それをどう創作力へ転移させるかだけの作業ルートだけの問題なんですね。
結果は、どうなるか、収穫があるかは行ってみないとわかりませんが、もう中途半端な改稿でも、出すことを決めているので、
3/31の締切すらも単なる道標で、今の僕に怖いものはありません。
とにかく、この3月ギリギリまで足掻くこと。
ただ、その足掻くはいつもの締切まで「一生懸命に、盲目的に書く」という【展開呪縛】の枠内にある単純行為なのではなく、
本物の「小説らしさ」という「見えないもの」のゲットへつなげたいんですよね。
がんばります。
あつ。
昨日のアクセス数が「501」でした。(第9位。これでも凄いこと!)
まだまだ、脅威の数字で、皆様に感謝しております。