昨日、改めてよく考えて内省したことだけど、次元上昇を目指さなくてはならない。
つまり、野心的であれ、ってこと。
僕は基本、大言壮語しない生き方を心がけてきました。
身の程知らずの批判を恐れて、失敗を避けて避けて生きて来ました。
恥はかきたくなかったから。
でも、自分が恥をかくだけで誰にも迷惑をかけないなら、詩と小説と教育の三刀流を目指していいじゃん。
無難で大人なサザエさんじゃなくて、失敗だらけで破天荒なクレヨンしんちゃんであるべきなんだよ。
プチ大谷選手を目指すべき。
’25年度に、引き続きの〈芥川賞そのまま獲っちゃうぞ作戦〉と、新規の〈ショートショートアワード映像作戦〉、さらに全くの初挑戦の〈マンガ原作作戦〉、この三つが次元上昇的に必要だと思う。
それらをやる為に、3月にやらなければならないことがある。
前にも書いた、「できるのなら、やるよ」感がどうしても足を引っ張ってくる。
裏返すと、「できないから、やりたくない」意識だ。
「無駄じゃん」の言葉が一番やる気を削いで、やらな言い訳を山ほど考え出す。
もちろん、この意識は誰の心にもあって、僕だけじゃない、のもわかっている。
創作しませんか、創作教室へ一緒に参加しませんか、と同僚やら若い人やら、友人やらへ声をいくらかけても、応じてくれるのは稀ですから。
みんな尻込みしてしまう。
もちろん、小説のように長いやつは大変だし、困難が予想できるけど、短歌や詩なんて短いから、すぐじゃんと僕は思うけど、そうじゃないんですよ。
前にも紹介した、斎藤洋さんだったかな、の自分応援のハーフ・ハーフ考え方。
「A1、詩や小説が書きたいと思っている人」50%・「B1、思っていない人」50%……半分
→「A2、詩や小説を書く挑戦をして書いたり、教室へ行く人」25%・「B2、書きたくても実行しない人」25%……4分の1
→「A3、書いても上手くいかず、でも諦めず、書き続け投稿する人」12.5%・「B3、書いても上手くいかず、諦めて、もう書かない人」12.5%……8分の1
→「A4、落選し続けても、諦めず何年も投稿する人」6.25%・「B4、落選し続けて、もう諦めて書かなくなる人」6.25%……16分の1
今回、さらに、もう1項目、追加です。
→「A5、落選する中で、受講したり、ひたすら自己内省したりで自己変革へ挑戦・応募する人」3.125%・「B5、応募はしたものの、もう変化を望まず、これが個性だと現状維持に努める人」3.125%……32分の1
僕は、もちろんA5のタイプなんですが、世の中には、B5タイプの人もおられるんですね。
ある教室の、生徒同士の合評の際に、「批評は嫌いだ」と公言される方に怒られて、ビックリしたことがあります。
僕は一方的な批判じゃなく、こうしたらまた違う可能性があると提案したことが気に入らなかったみたいでした。
「褒められる」為に、自己肯定を補強する為に、参加されてたんですね。
僕は常にどこかに自己否定が潜んでいるので、羨ましいです。
自分が3,125%のレアな挑戦しているんだ、と思って、自己応援しないと、時々書けなくなるんですよ。
「書いても無駄だ」
「努力しても無駄だ。全ては才能だから」
自己否定のボクは、声高に、こう主張しますから。
今日も仕事へ、もしかして交通費も出ないかもしれませんが。