予想通り、もう太宰治賞は団円。
もちろん、当初、非常用に考えていた、落選作のちょこっと直しで提出もできなくもないんですが、
今日も放送大学スクーリングで1日、潰れますし、12/7は午後半日、兵庫県現代詩協会の読書会ですし、
また、仕事で、10日まで、最低でも3日は一日仕事になるし12/9は小説教室ですし。稼働できそうな時間はわずかです。
そもそも時間があっても書かないの……
でも、せっかくの〆切効果が使える機会ですので、ギリギリまで書き出そうとは思っています。
その分、12/13〆切の、こうべ市民文芸へ、もともと詩は応募するつもりで試案を書いていたものとは別に、短編小説を出すつもりです。
ちょうど、今、受講している放送大学スクーリング「日本語文学への招待」で貰った刺激をもとに、案が浮かんだので、
外形描写を試してみます。
梶井基次郎「檸檬」を読んでいて思ったこと、梶井の文体の書き方で気付いたことを、そこへさらに織り込んでみます。
もとは、この太宰治賞で試す心づもりだったのですが、予定変更なので。
枚数制限8枚以下なので、半日もあれば書けます。
もう終わりのイメージも、途中の書くべきことは浮かんでるんですよ。
えっ!?
「なら、100枚だって、8枚×13日で理論的には書けるだろう」って?
はい、その通り。
ですよね。
ですよね?
うーん、おかしいなぁ。笑
100枚の終わりイメージが、この前少しだけ浮かんだので、終わるつもりではいますが、途中がねえ……。
今回の「日本語文学への招待」のスクーリングは、昨日も書きましたが、すごく創作に刺激があります。
例えば、教材に使われた『羅生門』の二項対立の徹底読み。
僕が普段よく使う二項対立の新たな使い方がわかったり、芥川と梶井基次郎の文体の共通点がわかったりした。
もちろん、先生にはそんなつもりは一切ないのでしょうが。
昨日、紹介していただいた、coccoの歌も素敵でよかったです。
でも、この某所についての云々は僕も良く知っているだけに、特定立場の言説の正義ばかり振り回されることには辟易しました。
それが一面からは間違いではない事実でもありますが、講義で紹介されるのなら、
政治的な発言だけに他方のもっと大きな局面と視点も同時に紹介すべきだと個人的に感じたからです。
あまりにも既成の情報ばかり鵜呑みにされているみたいに見えるので、それでは講義自体の底が浅く感じかねません。
こちらは19・20歳のオネンネではないのでね。
また他の部分ではすごく面白い講義なだけに、すこし勿体無いと思いました。