最近、電車内で新聞を読むこと | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

最近、電車内で新聞を読むことが、実はすごく恥ずかしい気がしている。


今朝、車内で、段階の世代っぽい70代の、ダンディな麻生元総理並に黒いソフト帽をかぶられている、僕よりはかなりご年配の男の方が、

新聞を2紙、一つは日経で、もう一つ普通紙っぽいをとっかえひっかえ読まれていた。

しかも、お隣に座られた奥様らしき人に、新聞の政治面か経済面のことで、

怒ってだか、呆れてだから、強めに呟かれていた。


うーん、それ、自分が最先端にいるつもりが、実は情弱ですよ、と宣伝してないか、

と、僕は気になった。

少し恥ずかしく思った。


もしかしたら、事実は全く逆だった。

「新聞は嘘ばかり書きおって!」と、ネットもご覧になった非・情弱の方だったのかも知れない。


ともかく、こう見られるのなら、

車内で新聞を広げるのは、すごく恥ずかしい行為になった気がした。

ぜったい、僕はやるまいと思った。

もともと、今まで、何十年も生きて、数回しかしたことはなかったし、

もう新聞は取ってないから、その心配はないだろうけれど。


2年前までは、読売新聞をとっていた。

だからか、先週、相方が読売新聞の勧誘の電話に、5日間だか、お試し朝刊を承諾したらしく、

その間、玄関の新聞受けに朝刊が入れられていた。


僕は新聞がずっと好きでした。

今も図書館へ行くと、時々、朝日新聞以外はよく観ます。

書評欄や文化欄は、特に。


でも、政治面と、経済面は、また嘘を書いているのか、吟味もせずにCNNとかの偏向情報の横流しか、

と思って、暗澹たる思いにかられてしまう。


これから、タブレットでダウンロードした記事は読むかもしれないけど、

新聞を車内では、絶対的読まないぞ。


もし僕が作家になったら、逆に、新聞を再購読する必要があるかも、とも思う。


でも、車内では読まない。

改めて、誓う。


恥ずかしいから。