最近、電車内で新聞を読むことが、実はすごく恥ずかしい気がしている。
今朝、車内で、段階の世代っぽい70代の、ダンディな麻生元総理並に黒いソフト帽をかぶられている、僕よりはかなりご年配の男の方が、
新聞を2紙、一つは日経で、もう一つ普通紙っぽいをとっかえひっかえ読まれていた。
しかも、お隣に座られた奥様らしき人に、新聞の政治面か経済面のことで、
怒ってだか、呆れてだから、強めに呟かれていた。
うーん、それ、自分が最先端にいるつもりが、実は情弱ですよ、と宣伝してないか、
と、僕は気になった。
少し恥ずかしく思った。
もしかしたら、事実は全く逆だった。
「新聞は嘘ばかり書きおって!」と、ネットもご覧になった非・情弱の方だったのかも知れない。
ともかく、こう見られるのなら、
車内で新聞を広げるのは、すごく恥ずかしい行為になった気がした。
ぜったい、僕はやるまいと思った。
もともと、今まで、何十年も生きて、数回しかしたことはなかったし、
もう新聞は取ってないから、その心配はないだろうけれど。
2年前までは、読売新聞をとっていた。
だからか、先週、相方が読売新聞の勧誘の電話に、5日間だか、お試し朝刊を承諾したらしく、
その間、玄関の新聞受けに朝刊が入れられていた。
僕は新聞がずっと好きでした。
今も図書館へ行くと、時々、朝日新聞以外はよく観ます。
書評欄や文化欄は、特に。
でも、政治面と、経済面は、また嘘を書いているのか、吟味もせずにCNNとかの偏向情報の横流しか、
と思って、暗澹たる思いにかられてしまう。
これから、タブレットでダウンロードした記事は読むかもしれないけど、
新聞を車内では、絶対的読まないぞ。
もし僕が作家になったら、逆に、新聞を再購読する必要があるかも、とも思う。
でも、車内では読まない。
改めて、誓う。
恥ずかしいから。