才能について、僕が抱いていることとほぼ同じことを述べているページ(公募ガイド社の公式ページ)を見つけました。
このNoteの記事はすごくいいものが多いですよね。
以下は、元は公募ガイドの特集記事ですから、内容がよくて当たり前ですけどね。
僕も気に入った記事がある時しか、『公募ガイド』は買わないし、図書館でも借りないので、これは初見かな。
(紙版はしばらく経つと捨てるので、もう電子書籍版しか手元にありませんが、その一番古いので、’17年11月号です)
才能は地面の下の温泉のようなもので、発掘しないと出てこない。
将棋の羽生善治さんやイチローのような天才たちは、子どもの頃からすでに才能が突出していて発見しやすかったかもしれません。
しかし、多くの人は、油田を探すときのように何度も掘り起さないと、才能は見つけられないものです。
――才能を掘り当てるのと掘り当てないのとでは、人生が大きく変わりますね。
自分の才能のありかを見つけることが、人生で一番大切なことだと思っています。
なぜなら、才能を発揮する場所を間違えると、どう頑張ってもうまくいかないからです。
嫌な仕事にしがみついているだけでは、人生が苦しくなります。 」
そうそう。
この「才能は地面の下の温泉のようなもので、発掘しないと出てこない」意見には、僕も全面的に同意します。
なにせ、「小説」と言う温泉を探して、掘っていたら、「詩」と言う源泉を掘り当ててしまった人間が、僕自身ですから。
で、「童話・児童文学」の温泉をほぼメインに16年間という長らくの期間、掘り進めましたが、まったく才能がない、とやって気づいた僕です。笑
事実、今、取り組んでいる文學界新人賞向けの大人の純文学小説は、比較的順調で、今朝の時点で102枚です。
昨日の朝が91枚でしたから、プラス11枚で、第11章に入っています。
残り、2章の予定で20枚ほどのつもりです。
その後、8/31締切の森林のまち童話大賞15枚を仕上げようかと思いましたが、やっぱり難しい。
使う回路が違いますね、束縛感がきつくて描きにくい。
つくづくあってないことをやっていたんだ、と思います。
児童文学は丁寧に書くことを求められるんですが、描きすぎてもダメで加減が僕にはいまだに今ひとつわからない。
純文学は、書かない表現にこだわっているので、進む方向性ベクトルが真逆です。
これ、改作を書くかどうか、まだわかりません。