ふと思うこと、いろいろ | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

昨日の告別式でのことが、まだ尾を引いているのでしょう。

モヤモヤが消えません。

 

山陽電車に乗りながら、言葉にできないモヤモヤは、色々と考えさせ、人生を振り返らせます。

亡くなった同級生とは、高校は同じクラブに属していたこともあり、その後、大学は違うけど別の友人の下宿でよく会いました。

就職後も、同じ仕事に就いたので、継続的に出会って言葉も交わした。

高校の時か、彼の実家にも行ったよね、妹さんがいた、と思い出す。

 

もっと話をする機会があっても、僕は話をしなかった、と後悔した思いも持つ。

 

式で別の友人がいて少し話をする。

今も再任用を継続中とのことで、まだ子供が小学生で、という。

僕は「再任用を断って、非常勤になって、一応、詩人をやっています」と近況報告。

 

こうして、過去との繋がりも一つ、一つと無くしてゆくな、と改めて感じている。

8/17のある会の出来事も、大いに過去と関連しているから、二つを合わせた寂しさかもしれない。

一生懸命尽くしたけど、あの軽い扱いだったからね。

別に大袈裟に感謝してもらいたいわけじゃないけど、自分のしてきた過去がまるっきり価値がないと思わされるのは、

すごく寂しいものだ。

 

もちろん、僕は元々、人は独りだから、とシニカルに思って、他人とは距離を取って生きてきた。

ごく一部の友人以外には期待しない。

それでも、寂しく思ってしまう。

それが人情というものか。

 

果たして、自分のやってきたことや、これからやることがどれだけ価値があるんだろうか。

今、書いている小説もまるで無価値なことをやっている無気力感も、多少なりとも抱いてしまう。

 

まあ、中高年時代、大学時代の、過去の何もできなかった自分へ、臨終間際に、ちゃんと報告できるよう、取り組んでいる小説執筆だからね。

 

「とりあえず、頑張ったよ。神様がくれたチャンスを無駄にはしないよう最善は尽くせたから、69点のギリギリ及第点は取れたと思います」と。

 

詩が書けるるようになったこと。

これだけで、中高生の自分からしたら、本当は金メダルをもらったことになっています。

いや、創作を始めた’07・08年の自分から見ても、充分、メダリストですよ、ね。

当たり前の日常化してしまっているけど、神様に心から感謝しています。

 

まして、小説創作へちゃんと挑戦できていること。

憧れに参加できているんだから、無気力感に浸っている暇はないです。

 

いつ死んでもいいように。

自分のできることで、悔いだけは残すことがないように生きてゆくつもりです。

(恋の告白とか、他人への事柄はいっぱい後悔はありますが、それってやり直しても、たぶん、不器用な自分にはうまく行かない気がします。)

 勉強に関しては、過去の中高生時代に、本当はもっと色々できたはずなんだけど、それらは取り戻せない分、今生で放送大学などの勉強で代替できているはず。

 

で、ココア共和国への詩の、先月分は落選で、入国不可でした。

昨日、今月分を、投稿しました。

 

頑張りたい、です。