昨日の告別式でのことが、まだ尾を引いているのでしょう。
モヤモヤが消えません。
山陽電車に乗りながら、言葉にできないモヤモヤは、色々と考えさせ、人生を振り返らせます。
亡くなった同級生とは、高校は同じクラブに属していたこともあり、その後、大学は違うけど別の友人の下宿でよく会いました。
就職後も、同じ仕事に就いたので、継続的に出会って言葉も交わした。
高校の時か、彼の実家にも行ったよね、妹さんがいた、と思い出す。
もっと話をする機会があっても、僕は話をしなかった、と後悔した思いも持つ。
式で別の友人がいて少し話をする。
今も再任用を継続中とのことで、まだ子供が小学生で、という。
僕は「再任用を断って、非常勤になって、一応、詩人をやっています」と近況報告。
こうして、過去との繋がりも一つ、一つと無くしてゆくな、と改めて感じている。
8/17のある会の出来事も、大いに過去と関連しているから、二つを合わせた寂しさかもしれない。
一生懸命尽くしたけど、あの軽い扱いだったからね。
別に大袈裟に感謝してもらいたいわけじゃないけど、自分のしてきた過去がまるっきり価値がないと思わされるのは、
すごく寂しいものだ。
もちろん、僕は元々、人は独りだから、とシニカルに思って、他人とは距離を取って生きてきた。
ごく一部の友人以外には期待しない。
それでも、寂しく思ってしまう。
それが人情というものか。
果たして、自分のやってきたことや、これからやることがどれだけ価値があるんだろうか。
今、書いている小説もまるで無価値なことをやっている無気力感も、多少なりとも抱いてしまう。
まあ、中高年時代、大学時代の、過去の何もできなかった自分へ、臨終間際に、ちゃんと報告できるよう、取り組んでいる小説執筆だからね。
「とりあえず、頑張ったよ。神様がくれたチャンスを無駄にはしないよう最善は尽くせたから、69点のギリギリ及第点は取れたと思います」と。
詩が書けるるようになったこと。
これだけで、中高生の自分からしたら、本当は金メダルをもらったことになっています。
いや、創作を始めた’07・08年の自分から見ても、充分、メダリストですよ、ね。
当たり前の日常化してしまっているけど、神様に心から感謝しています。
まして、小説創作へちゃんと挑戦できていること。
憧れに参加できているんだから、無気力感に浸っている暇はないです。
いつ死んでもいいように。
自分のできることで、悔いだけは残すことがないように生きてゆくつもりです。
(恋の告白とか、他人への事柄はいっぱい後悔はありますが、それってやり直しても、たぶん、不器用な自分にはうまく行かない気がします。)
勉強に関しては、過去の中高生時代に、本当はもっと色々できたはずなんだけど、それらは取り戻せない分、今生で放送大学などの勉強で代替できているはず。
で、ココア共和国への詩の、先月分は落選で、入国不可でした。
昨日、今月分を、投稿しました。
頑張りたい、です。