とうとう八月ですね。
昨日の続きで、今年、作ろうと思っている第2詩集のこと、および詩集の編み方についての話に、今日はなります。
前にも一度書きましたが、詩集を出しました、の情報がネットには結構あっても、ほとんどがちゃんとした出版社さんのことで、あまりかかる費用のことは触れない、私家本についてのことが書かれていない、と思います。
出版社での相場は50-100万円ぐらいらしいんですが、詩の出版社としては誰もが知る有名なところなのに、某出版社さんのようにもっと安価でできるところもあります。
でも、その分、宣伝は一切なし、ですから、何か文学的実績がない限り、そこで出しても、無関係な方に、自分の詩集を読んでもらう機会は全くありません。(それは少し寂しいですが、自業自得ですから)
で、今回、僕は前に児童文学系講座で記念作品集を出した時に、すごく安価(10万円台)なのに、早くて、しっかりした装丁だった、京都の「ちょ古っ都製本工房」さんでの、私家本にしようと考えています。
(目標、中也賞にギリギリ間に合う、11月中旬に刊行の予定)
どうせ読まれないなら、同じですから。
何度も書いているように、面識のないプロ詩人の方へ送る文化に対して、僕はすごく抵抗があるので、したくありません。
交流があったり、過去にご教授いただいた方々へ献本して、あとは詩集単位で応募できるところへ出して、終わりです。
(出版社、取り置き分、以外に)100部作った、第1詩集『ことわり付喪神』もメルカリへ自分で出品していますが、まだ手元に30部以上、残ってます。
もう売れる見込みはないでしょう。
知人にも、読まないだろう人には献本しません。
現代詩なんて、押し付けられても迷惑ですから。
残った分は、細々と知り合った人に献本してなくなればそれだけのこと。
一応、『ことわり 付喪神』はユリイカに掲載された作品やら、某地方新聞で入選・特選したもの、「ココア共和国」での傑作選になったものなどパブリックな評価を得たものを中心に編んではおります。
ですが、そもそも、自分の詩集の価値に、今でも疑義があるのですね。
(だって、献本されたら、悪くいえないでしょう。
ですから、自作詩集の価値がいまだによくわからない。
ユリイカとかの入選作品は読む価値がある、とは思いますが、他はどうなの? と)
この計画中の第2詩集も同様かな、と思います。
まあ、私家本で出して、公募賞へ応募する。
そして、〈受賞すれば、改めてちゃんとした出版社から出せばいいか作戦〉を立てています。
何よりも、私家本なら、少ないお金で、第3、第4、第5と詩集を定期的に数年ごとに出せるので。
ちゃんと宣伝してくれる、憧れの思潮社とかから、いつか出したいとは思いますが、お金はどんどんなくなるので、計画倒れで、先にこちらが金銭的、健康的に、破綻・ご臨終しそうに思います。笑
と、あれこれ思いつつ、前の詩集以降の、2年11ヶ月の間で、入選・入賞したものと、落選したけど、これは載せたいものを集めてみると、
もうすでに40篇弱ありました。
第2詩集は、この3年弱の間に、両親が相次ぎ亡くなったので、父母のレクイエム詩集の側面をこめつつ、あるコンセプトで詩篇を選別するつもりでいます。
そのコンセプトに必要な、つなぎの詩作品を数篇付け足して。
前回、そのつなぎで書いた作品を、ふと思いついて「ユリイカ」へ送ったらトップ入選だったので、おいおい、と突っ込みつつ、びっくりしました。
その作品、「付喪神、八雲にかく語りき」は僕にとって、一つの指針にもなる記念作になりましたので、人生ってよくわからないものです。
あれは、ある意味、僕自身の、これから作る自分の第1詩集への感想作品だったのです。
また、文字通り、付喪神が憑依されたからできた作品なのか、以後、3年あまり、同じレベルの詩が書けてませんでした。
(今は、その書けなかった原因がわかりました。
僕は、つい心象風景で詩を書く癖がありますが、あれはマーサ先生のよく言われる外的描写に徹して書いていたんですね)
そうそう。
11月までに、つなぎの詩を数篇、書こう。
この8月中に、40篇を30篇に選別すればいいね。
たぶん、第1詩集とは、個々のレベルでも、全体としての高価でも、一段階上の作品にできそうに思います。