昨日のアクセス数が519(24位)でした。
その前々日から2日間、続けて400台だったのもびっくりなのに、不思議なことです。
皆様、いつもご訪問、ありがとうございます。
昨日、書きましたように、母親が死去して鬼籍に入りました。
もちろん、未だ実感が湧きません。
先週の水曜日に会った時は、文字も書けたし、ぼーっとしていても、こちらの質問に応対できていたので。
夜中、夜勤の看護師さんが声をかけた時には、もう亡くなっていたそうです。
眠るように安らかな顔だったので、苦しまなかったと思います。
そこは良かったな。と。
90歳近いので、老衰かな、と思います。
冥福を祈ります。
告別式は、火葬場が空いてなくて、のびのびで、30日となりました。
こんなことってあるんですね。
父親の3回忌までを済ませたお寺の、「えっ」と思うような、非常識な対応を含めて、色々バタバタして大変な1日でした。
また、いずれ落ち着いて、自分の中で昇華できたら、実感とともに、レクイエム的な詩を書いてしまうことで、菩提を弔いたい、と思います。
さて、ブラック職種ですので、その告別式の日も仕事をギリギリまで行って、途中から切り上げて欠勤して対応します。
なんせ、我々働いている者には一切の人権は認められない「働かせ放題」な職場なので。
(今日は、警報で、どうなるんでしょう。6時過ぎの時点では大阪、京都は出ているのに、兵庫だけ出てない。JRはもう運休もチラホラ)
ところで、こうして身近な肉親の死を目にすると、
若くない僕自身も、今すぐにではないにしても、自分もやがて、だな、と覚悟を決めてしまいます。
何度か書いているように、ボケて何もわからなくならない限り、僕は死の直前まで、創作へ足掻こうと決意しています。
そうした死への対峙がまた(自身をこう定義するのも烏滸がましく、恥ずかしいのですが)文学者の宿命でもあるだろう、と思っています。
肉親の死も、自身の死も、すべてを冷徹に見つめること。
それが若くない僕に与えられた、この文字の翼への感謝と責務だと思っています。
「才能がない」なんて言う泣き言や逃げ口上は、死ぬ間際のギリギリまで努力した人間にだけ許されるもので、
「ない」と心の底から本当に思っているのなら、学べ、盗め、考えろ、と。
自身へも、言い聞かせます。
5/31締切の内田百閒文学賞ですが、未だ遅々として改稿作業は進みませんが、
あと3日しかない(しかも30日は告別式プラス「ギリギリ仕事」)ではなく、
まだ3日ある、と考え直します。
きっと、幼き9歳の日に満州から、より幼い弟の手を引いて帰国した母、阪神淡路大震災で自分の美容室が全壊した母、その他諸々の苦労しつづけの人生だった母なら、
今、霊体となって、解脱して、漂いながら、こう言うはずです。
怠け者で、つい逃げ出しがちな息子の僕に向かって、おい、我が息子よ、と。
「わたしの葬儀を理由に、作品を書き上げない、応募しない、なんて、情けないことを、当然しないよね?」と。
同時に「自分の仕事もギリギリまでベストを尽くし、他人に迷惑をかけないよう努力しろよ」とも。
それが、昭和の人間の誇りであり、価値観ですからね。
おっと、気がつくと、追悼文にしてしまいそうだ。