*昨日のアクセス数が519(24位)です。その前々日から2日間、続けて400台だったのに | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

昨日のアクセス数が519(24位)でした。

その前々日から2日間、続けて400台だったのもびっくりなのに、不思議なことです。

皆様、いつもご訪問、ありがとうございます。

 

昨日、書きましたように、母親が死去して鬼籍に入りました。

もちろん、未だ実感が湧きません。

先週の水曜日に会った時は、文字も書けたし、ぼーっとしていても、こちらの質問に応対できていたので。

夜中、夜勤の看護師さんが声をかけた時には、もう亡くなっていたそうです。

眠るように安らかな顔だったので、苦しまなかったと思います。

そこは良かったな。と。

90歳近いので、老衰かな、と思います。

冥福を祈ります。

 

告別式は、火葬場が空いてなくて、のびのびで、30日となりました。

こんなことってあるんですね。

父親の3回忌までを済ませたお寺の、「えっ」と思うような、非常識な対応を含めて、色々バタバタして大変な1日でした。

また、いずれ落ち着いて、自分の中で昇華できたら、実感とともに、レクイエム的な詩を書いてしまうことで、菩提を弔いたい、と思います。

 

さて、ブラック職種ですので、その告別式の日も仕事をギリギリまで行って、途中から切り上げて欠勤して対応します。

なんせ、我々働いている者には一切の人権は認められない「働かせ放題」な職場なので。

(今日は、警報で、どうなるんでしょう。6時過ぎの時点では大阪、京都は出ているのに、兵庫だけ出てない。JRはもう運休もチラホラ)

 

ところで、こうして身近な肉親の死を目にすると、

若くない僕自身も、今すぐにではないにしても、自分もやがて、だな、と覚悟を決めてしまいます。

何度か書いているように、ボケて何もわからなくならない限り、僕は死の直前まで、創作へ足掻こうと決意しています。

そうした死への対峙がまた(自身をこう定義するのも烏滸がましく、恥ずかしいのですが)文学者の宿命でもあるだろう、と思っています。

 

肉親の死も、自身の死も、すべてを冷徹に見つめること。

それが若くない僕に与えられた、この文字の翼への感謝と責務だと思っています。

「才能がない」なんて言う泣き言や逃げ口上は、死ぬ間際のギリギリまで努力した人間にだけ許されるもので、

「ない」と心の底から本当に思っているのなら、学べ、盗め、考えろ、と。

自身へも、言い聞かせます。

 

5/31締切の内田百閒文学賞ですが、未だ遅々として改稿作業は進みませんが、

あと3日しかない(しかも30日は告別式プラス「ギリギリ仕事」)ではなく、

まだ3日ある、と考え直します。

 

きっと、幼き9歳の日に満州から、より幼い弟の手を引いて帰国した母、阪神淡路大震災で自分の美容室が全壊した母、その他諸々の苦労しつづけの人生だった母なら、

今、霊体となって、解脱して、漂いながら、こう言うはずです。

 

怠け者で、つい逃げ出しがちな息子の僕に向かって、おい、我が息子よ、と。

「わたしの葬儀を理由に、作品を書き上げない、応募しない、なんて、情けないことを、当然しないよね?」と。

同時に「自分の仕事もギリギリまでベストを尽くし、他人に迷惑をかけないよう努力しろよ」とも。

 

それが、昭和の人間の誇りであり、価値観ですからね。

 

おっと、気がつくと、追悼文にしてしまいそうだ。