とうとう五月ですね。
こと、創作に関連した上でなら、4月は目まぐるしく猫の目のようにバタバタでした。
そのくせ、応募成果として作品化できたのは、通常の「ユリイカ」「現代詩手帖」の定期投稿の詩誌であり、また、某地方新聞と「詩と思想」の投稿欄を除くと、
無理やり、応募して事実を作った「資生堂 花椿」の詩だけでした。
でも、ショートショート作戦の星新一さんの読解分析によるトレース作品を1篇仕上げたのは、めだたたないけど、後々、大きな財産になる予感があります。
今、取り組んで、追い詰められている、岡英里奈教室への提出作品30枚も、まだ全然、かけていないのですが、
すごく新しい形での、創作姿勢ができつつあるので、大成功な気がしています。
何が、どう新しいのかと言うと、当然、ずっと述べている〈ゲシュタルト感覚〉に基づいたものなんですが、
今までの人物の背景にある「環境コミュニティ」との合わせ技で、
「人間は、徹頭徹尾、他人の影響下で構成されている意識」を、書いている自分への注入です。
うーん、これ、うまく全然、言えないんですが、
前記の「環境コミュニティ」は過去の、自分以外の人物との関わり合いを指しているとすれば、
それをしっかり見据えて語る、と言うことです。
こう書くと、すごく当たり前で陳腐なことになってしまうんですが、
これを頭の中の知識レベルじゃなくて、感覚的に取り入れると、すごく、通常のストーリー展開が全く違う視点で「見えます」。
見えないものが見える、気がするんですよ。
この世界観に基づく「視点」がなかったから、いい小説は書けなかったんだ、と思ってしまうほどです。
詩において、ありがちな自分ファースト意識は、この視点の育成を、明らかに邪魔をしてますね。
さて、提出期限5/3(金)まで、今日を入れて、あと3日。
でも、すごく書ける気がして、試したくてウズウズしています。
最悪、途中まででも送ろうと思っています。
それか、既存の作品を送るかですが、まだまともな純文学作品を完成させたことがないんですよね。
児童文学作品やエンタメ系なら、10枚や20枚の作品ならば、たくさんあります。
でも、できれば、それらは送りたくない。
失敗作でも純文学系にしたいんです。
そのために、この教室を受けましたから。
無難さは不要です。
徹底的に、駄目出しをされて、変わりたいんですよ。
頑張ります。
でも、今日、明日と仕事ですから、休日の金曜日が勝負ですね。