とうとう五月ですね | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

とうとう五月ですね。

こと、創作に関連した上でなら、4月は目まぐるしく猫の目のようにバタバタでした。

そのくせ、応募成果として作品化できたのは、通常の「ユリイカ」「現代詩手帖」の定期投稿の詩誌であり、また、某地方新聞と「詩と思想」の投稿欄を除くと、

無理やり、応募して事実を作った「資生堂 花椿」の詩だけでした。

 

でも、ショートショート作戦の星新一さんの読解分析によるトレース作品を1篇仕上げたのは、めだたたないけど、後々、大きな財産になる予感があります。

今、取り組んで、追い詰められている、岡英里奈教室への提出作品30枚も、まだ全然、かけていないのですが、

すごく新しい形での、創作姿勢ができつつあるので、大成功な気がしています。

 

何が、どう新しいのかと言うと、当然、ずっと述べている〈ゲシュタルト感覚〉に基づいたものなんですが、

今までの人物の背景にある「環境コミュニティ」との合わせ技で、

「人間は、徹頭徹尾、他人の影響下で構成されている意識」を、書いている自分への注入です。

 

うーん、これ、うまく全然、言えないんですが、

前記の「環境コミュニティ」は過去の、自分以外の人物との関わり合いを指しているとすれば、

それをしっかり見据えて語る、と言うことです。

 

こう書くと、すごく当たり前で陳腐なことになってしまうんですが、

これを頭の中の知識レベルじゃなくて、感覚的に取り入れると、すごく、通常のストーリー展開が全く違う視点で「見えます」。

見えないものが見える、気がするんですよ。

 

この世界観に基づく「視点」がなかったから、いい小説は書けなかったんだ、と思ってしまうほどです。

詩において、ありがちな自分ファースト意識は、この視点の育成を、明らかに邪魔をしてますね。

 

さて、提出期限5/3(金)まで、今日を入れて、あと3日。

でも、すごく書ける気がして、試したくてウズウズしています。

最悪、途中まででも送ろうと思っています。

それか、既存の作品を送るかですが、まだまともな純文学作品を完成させたことがないんですよね。

児童文学作品やエンタメ系なら、10枚や20枚の作品ならば、たくさんあります。

でも、できれば、それらは送りたくない。

失敗作でも純文学系にしたいんです。

そのために、この教室を受けましたから。

 

無難さは不要です。

徹底的に、駄目出しをされて、変わりたいんですよ。

 

頑張ります。

 

でも、今日、明日と仕事ですから、休日の金曜日が勝負ですね。