みなさん、星占いは信じますか?
僕は、ある意味、信じています。
いいことばりを期待して、悪い時は警戒して。
ハズレている時も多いんですが、当たった時だけ覚えるようにしています。
(ギャンブルにはまる人と同じかも。苦笑
でも、経済的な実害は星占いの本を2・3冊買うぐらいだけですから。
また、ちゃんとしたホロスコープも自力で書けます。というか、書いて持っています。
上昇宮も月の星座も、自分が何かを把握しています。
でも、普段は太陽星座だけで十分ですから。)
星占い時には、今日から三日間、木星と天王星がぴたりと一致する「合」になる。
’10年以来、14年ぶりだそうだ(次回がまた14年後)。
なんでも、変化を恐れないチャレンジをする時だそうだ。
思い起こせば、’10年には、僕は旧:京都造形大学の文芸コースに入って、初めて長編小説・児童文学へ挑戦していた時期でした。
それは、もう思い出したくない恥ずかしい作品を書いた黒歴史で、全てボロボロな作品でしたが。笑
8月〈福島正実記念SF童話賞〉50枚、 12月-1月〈小川未明文学賞〉110枚、’11年 1-3月〈講談社児童文学新人賞〉250枚執筆。
もちろん、応募して落選。
初挑戦ばかり。
で、急に話が変わります。
星新一的なショートショートを描こうとしています。
なのに、いつもの苫米地英人さんの本を読んでいると、著書『自己洗脳ルール44』では、臨場感が高まり、ホメオスタシス(環境と身体との生理的同調関係)が働く、と解く。
この本、ありました。
僕の検索ワードが間違っていただけでした。ごめんなさい。
さて、全く目立たないけれど、このホメオスタシス的なところから来る臨場感が星新一作品にはどことなくあると気づく。
その秘訣は、どうなるどうなる感覚とリンクする臨場感だ。
それを考察する前に、星作品とはシンプルの極致で、ウラジミール・プロップ(露)『昔話の形態学』(1928)で構造分析して解いた物語の祖形に近い(構造主義の先駆的仕事)と僕は思う。
でも、星作品は物語でなく、小説になっているのは、「環境コミュニティ=現代の人間社会」をしっかりと環境設定しているからじゃないか。
だから、何度か触れている名作「おーい、でてこい」にはあの、ある意味、あの不要な長さが必要だったんだ。
アイデアだけだったら、あの9,4枚は5枚に納められるのは星新一の技量なら楽々なはずだからね。
敢えて、その枚数に延長させたのは、人間社会コミュニティが必要だったんだのでは?
言い換えれば、そこにこそ星の作品が輝きをいつまでも失わない秘密がある。
それは「環境コミュニティ」描写の厚みの差のように、僕は感じました。
以上、いつものように、なんのことかわからないと思いますが、
ちゃんと説明しようとすると、かなり長い論文になるので、関心のある方は自己読解してください。
この理屈が正しくて、その原理を利用して、僕が書いたショートショートが入選したら、正解だったと思ってください。笑
今までも、何度かここに書いたように、「4枚小説の講座」にも通ったので、ショートショートの修行も積んでいるのですが、
その実体験プラス僕なりの理論武装できたので、ちゃんと応募作品を仕上げます。
でも、その「4枚小説の講座」の丘辺先生が、「4枚が基本で、これをしっかり書けたら、あとは長くすれば、短編はいくらでも書けるようになる」のお言葉をしばしば、おっしゃってましたが、
その通りだと感じています。
今までは、ストーリー展開にびきずられて創作していたので、もちろんゲシュタルト感覚は意識中にはありませんでしたから、
この星新一感覚(と信じているもの)との合わせ技で、その感覚を意識しながら書くと、一体どんな作品になるか、楽しみです。
また、14年前に、250枚の長い作品を書いたのと、真逆の超短いショートショートを書き上げる時期というのも、なんとなく対照的な皮肉で面白いです。