星新一のショートショート分析「おーい、でてこい」 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

 

 

星新一の「おーい、でてこい」をいつもの、読解分析で詳細に、その表現効果を分解してみた。

小説の構成要素を、中村航先生式の、〈キャラ、ストーリー、世界観〉だと仮定する。

 

すると、キャラ性が皆無に近いのがいつも星新一流(僕が星作品が高校のときから苦手な理由)であるにせよ、

ストーリー性がアイデアだけなら、もっとはるかに短くできることに気づく。

 

この「おーい、でてこい」の本文は計算すると9,4枚だったからね。

つまり、アイデア的には余分に感じる部分、右往左往する人間社会にこそ、作者の星新一さんが書きたい様相であったのだ、と推察できた。

 

だってね、星新一に無駄な文章はないからね。

この短編集の他は、大部分にが4-7枚の作品で、この『ボッコちゃん』に限らず、

もっと短い作品は星新一に山ほどあるのだから。

そうした中で、わざわざ9,4枚にしたのは作者に必然があるんだ、とわかる。

(もちろん、10枚ぐらいで、と掲載先の編集部から注文があった可能性も否定できませんが)

 

なぜ、9枚も星さんは使ったのだろう。

この疑問は大事です。笑

これは、創作者であり研究スピリットのある僕ならではの視点・切り口だと自負させてください。

 

また、さつき、今流行りの異世界ものアニメを観たあとだったので、この作品を分析すると、

まるで星新一流の付与魔術が施されたように感じました。

最後には回復魔法で全編が再生されるようにもなってるな、と。

この辺は、口で、いや、文章で説明すると、つまらないので、省略します。

何がどうなのか、お考えくださいませ。

 

さて、詩とショートショートは、削ぎ落とし性では近似値だ、と分析しながら、ずっとその近似値を感じていました。

そもそも、物語は叙事詩から生まれたのだから、詩が母猫なのですね。

 

昨日、某女子大教室で、僕の詩作品に対して、先生から「それはモダニズムで終わった(技法)」と言われたけど、

そうした終わったはずの文学史から新しいものを再生すること。

 

それこそ僕に課せられた使命なんだ,と感じています。

何より、僕は詩人だけじゃないから、と思ってしまう。

(純粋詩人の意識にはなれない。

 作品上のことじゃなく、詩界という閉じた世界の住人にはなれない、といつも感じています。)

 

しかも、創作者でありつつ、研究者性こそ僕の本質に近い。

だから、昔の技法を継承することこそ本望なんですよ。

 

この辺は、プロ小説家でも、プロ詩人でもない僕が説明しても説得力がないので、

口が裂けても言えません。

 

また、詩と小説の差。

自分ファーストと読み手ファーストの感覚差を、たぶん理解してもらえないので。