ふと、耳についた「猫」の曲。「猫になったんだよな君は 」がサビ。あいみょんの歌詞だったんだ | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

ふと、耳についたラジオから流れる曲。

「猫になったんだよな君は 」の歌詞がサビの、耳についた「猫」の曲。

ちょっと前に流行りましたよね。

 

これ、僕のようなオジサンは、DISH「猫」の楽曲と、シンガーも曲名も覚えてなかったんですが、

調べると、作詞・作曲は、あいみょんだったんだんですね。

 

 

 

Youtubeで、聴いて、しみじみとしてしまいました。

2億回再生って、ヤバすぎるでしょう。

でも、北村匠海くんの声が切なくて、ほんとジーンときます。

 

ふと、作詞側のあいみょん自身が歌ってないか、と探すと、ありました。

 

 

あいみょん本人がセルフカバーで歌うのは、北村匠海が歌うのとまるで違う。

北村くんの方は男側の思いや祈りの強さ、戻ってきてほしい現在形が強いけど、

あいみょんは過去の時間や後悔が強くなる気がする。

男女の差かな。

でも、名曲だな、と思う。

あいみょん、ほんと天才。

 

Youtubeでは、二人のデュエット曲も上がってるけど、ハングルがついているから、これ、違法バージョンかな?

 

 

 

 

 

 

僕が詩が書けるようになって、文学表現一般そのものを除いて、変わった劇的なことは、歌詞の物語性や構造が曲・メロディを離れて、「見える」ようになったこと。

たぶん、これは詩を書ける人なら誰でも持っているものではなく、かなり限られた特殊能力だと思います。

なんとなく詩を書ける人には見えない、言葉の分解だろう、と。

 

例えば、僕は実物や人間、風景を、デッサン・絵画モードに換えると、光と影に分解できたり、パステル調にしたり、水彩っぽくなったり、材質感や厚みを感じられます。

指で色エンピツやパステルなどの画材を掴むと、ますます、なんとなく、うっすらと見えてきます。

(危ない人。笑)

 

それと同じように、段落や連、ごとに、分解し始めると、その物語性が浮かんで見えます。

この曲もそう。

傷ついた猫にメタファーさせる、変身させること、自分の喪失を発見し、彼女がいた時間と今の落差・ズレ、様々な物語が体感できます。

 

音楽が地球崩壊的にできない僕には、メロディーは受け取るだけですが、歌詞の物語性はしっかり自分の中へ流れ込み吸収されます。

詩が書けるように、読解できるようになって良かったな、と思う瞬間です。

 

さて、講談社児童文学新人賞の改稿作業、104枚に達しました。

今日は、夕方のトレーニング以外は外へ出かけないので、作品世界の立て直しもほぼ決まってきたので、もう少し構築しなおせたら、一挙に巻きに入って、伏線回収しつつ、今日中に200枚近くへ迫るつもりです。

 

頑張ります。