実は、創作向上の軌跡を記録して日記化しています。その新たな1ページを記録 | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

ほぼ毎日、このブログを更新していることからわかるように、

僕は真性の活字中毒で、本を読まないと死ぬ人間であり、かつ文字を書かないと変な気がする人間です。

 

ブログ以外に、自分用の、もっと愚痴っぽい恥ずかしい日記ふう備忘録メモも、「モーニング・ページ」と名付けて、毎日つけていますし、

最近はほとんど書かないリアルな紙ベースに日記も未だにあります。

 

それ以外に、自分の創作スキルが、いつ、どういうきっかけで、たとえば、受講したスクーリングやカルチャーセンターでの、

この先生の一言でとか、この本のこの一節でとか、ポイントポイントで日付とともに簡単にメモまとめもしています。

(筆まめ! 笑)

 

文字で考え、文字からまとめる人間なんです。

 

今回、マーサ先生の教室でのサジェスションで、詩について大きく開眼した、と感じています。

それは、自分が詩をかけるようになって以来の、大きな発見で進歩がありそうだと感じました。

 

僕が詩を書けるようになったのは、ここでも何度も書いていますが、7年ほど前の’16年12月末でした。

同じ神戸出身の芥川賞作家の、山下澄人さんと同じ書き方の詩人だとの指摘を文芸誌のコラムか何かで見て、

その『渡辺玄英詩集』を、ふと読んだことがきっかけでした。

 

 

読んですぐ、これって物語性がすごくあって、

自分の小説を書くスキルで書けそうだ、と思ったのがきっかけであり、詩人生活の始まりでした。

 

面白いことに、今、その詩集を読み返すと、それほど小説的でも、山下澄人さん的でもないんですよね。

その文脈では、もう全く読めなくなって、玄英さんの詩が「普通」の詩にしか見えません。

 

僕はもともと、20代で卒業した通学制の大学では、国分学科専攻で、特に詩と童話が専門でした。

詩を読むのは、小説と同じくらい好きでした。

特に、詩は黒田三郎論を書いたぐらい、詩を読むことに関しては、40年以上前からずっと継続的に読んできました。

なのに、詩もどきしか書けなくて、自分の作品を読解すると、あまりに酷いお粗末ぶりに自己嫌悪から死にたくなったものです。

それでも、諦めきれずに、某有名詩人の教室へ就職してすぐ、1度だけ行って、すごく嫌な体験をしました。

で、詩はもう絶対に書くまいと誓い、読むだけに徹した20年間。

でも、15年前に童話が書けるようになる前後の40代でも挑戦し、別に詩人の教室へ行くも書けなくて挫折。

その後に、旧:京都造形芸術大学の通信・文芸コースを卒業していますが、それでも詩は書けませんでしたね。笑

 

こんな失敗の中から何度も立ち上がり、一人、トボトボと歩み続けてきました。

その7年前から、さまざまな詩の教室を受講して、万巻の入門書や詩集を読み続けての、今です。

特に、荒川洋治さんの、詩の見方には大いに影響され、刺激を受けました。

ただ基本、自分の感覚・知識を延長しての、勝手に自分解釈による、自力更生でした。

 

今、一読すれば、瞬間的に、さまざまな見地から詩を検討分析できると自負しています。

特に、小説・散文との比較もスムーズにできるのは自分の強みだろうな、と感じています。

 

でも、今回のマーサさんの、外形描写云々は盲点で、言われるまで気づきませんでした。

ご指摘の後は、自分の既存の読み方・知識を少し変形すれば対応可能な範疇だったので、すぐに理解できたのですが、

自作に欠落していることが確かにわかっていなくて、全く気づいていませんでした。

 

わかっていないことが、わかっていなかった、感覚というべきでしょうか。

要素自体は、他者の作品でなら、こうなっていると解析できていたのですが、自分の背中は見れないように、自力での発見・気づきは不可能でした。

 

手に入れた新しい観点から、自分の好きな他の詩人の作品もこれから再分析するつもりでいます。

より深く、その感覚を手に入れられそうです。

ですので、マーサ先生にすごく感謝しています。

 

で、早速、課題にもなりましたから、理解したその感覚を取り入れた詩を、一昨日1篇、書き上げ、昨日も推敲、仮に完成しました。

ついでに、来月で最後にするつもりの三角教室分の詩も課題に沿って書き上げました。

久しぶりに、新しい成長感覚を描く楽しさに、ワクワクしながら、「ああこれが、言葉がコトバを連れてくる感覚か」を実感しました。

 

これ、いわゆる、ゾーンに入ったような感覚で、今まで、偶然、訪れることはあっても、意識的には無理だったのが、

なんとなく意識的に到達できるスイッチやドアを見つけた気分です。