ふっと、詩を描きたくなる。
そう。
不思議だ。
詩が書けるようになったのは、7年前なのに、今では描かずにはいられなくなる。
コトバを書くと、詩にしたくなる。
全然、カッコつけているのではなく、せずにはいられない。
身体の中にモヤモヤが溜まってしまうから。吐き出したくなる生理現象。
(小説は、そうじゃない。なのに、ひたすら、小説が描きたい。欲求だけあって、身体の中にはなくて、なのに、描きたい。
でも、書けない。書けない事実だけに押しつぶされる生き地獄。)
今日の詩のモードの原因はわかっている。
昨日、三角みづ紀さんの詩の教室を受講したから。
受講生の皆さんの、たくさんの素敵な詩を三角さんの解説と共に読んだから。
すると、三角さんの感性が身体のどこかに残っていて、詩を描きたくなるんだ。
(この教室は心地よい。
三角先生は、どんな作品にも優しい。
優しくてすごく褒め上手。
でも、誉め殺しじゃなく、ダメなところもちゃんと指摘してくれる。
その人の感性(その人なりの詩の言葉)を掘り起こしてくれる姿勢がある。
指摘するのは言葉だけに見えて、そうじゃない。
そうそう、そうなんだ。
何よりも不器用で、お優しい人柄そのままの、心地よさがある。
けど、怖い。
その心地よさが。
だから、4月期からは継続しないで、逃げ出す。
一度、離れた方が、きっと自分自身のためだ、となぜか思う。
多分、今の僕はもっと、自分を壊したいんだ。
今は、褒めて伸びる時期じゃなくて、もっと強いダメ出しに苦しまないといけない、と感じる。
まだ何かが決定的に足りない気がするから。
あるレベル以上に達していることは自分でもわかっている。
けど、何か足りない。
足りないパーツを見つけきゃいけない、本能的な切迫感がある。
それを見つけたら、この教室へ戻ってこよう。
感謝を込めて、作品を出したいと思う)
教室では、単純に作品としての詩の巧拙も興味深いけど、それよりも詩人として感覚、日常との接し方をこの1年間でご教授いただいた気がしています。
なぜでしょう。
きっと、三角先生の人と話すのが苦手で、急に上手く喋れない、キーボードを打てないという人柄やらから、〈詩の時間〉の過ごし方、入り方を学べたのでしょうね。
(小説は足りないところだらけで、まださっぱりだ)
また何よりも、昨日は僕の提出した詩作品を三角さんが分解解説してくれたから、
なおのこと、その輝いて見える自分のでありながら、他人のものに感じるポエジーを他へ移植したくなるのかも知れない。
落選作を一つ取り出すと、描ききれなかったポエジーが見える、気がする。
本当は、こうだったんだよね、と。
すると、65点だった詩が120点ぐらいに大化けする。
(合格点は100点オーバーだから、際限はないか)
その前に読んだ、資生堂の花椿のライト・バース的な趣のある詩になってしまう。
ちょうど4月募集だから、あと2ヶ月後だ。
そこへ出すことにしよう。
詩人モードになったから、来月分の「ユリイカ」や「現代詩手帖」、いや、次に出す予定の詩集用に練習作を書いておこう。
きっと、今読んでいる、荒川洋治の詩集『真珠』や、杉本真維子の詩集『皆神山』を読み終わると、もっともっと詩が描きたくなるだろうから。