ふと、昔語りをします。
今から20年前に、僕はドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」に心から感動しました。
ちょうど、若い時に友人を亡くしていたので。
その’04年セカチューの頃、僕は何にもできなかったんです。
絵はやっと普通以上に描けるようになったけど、物語をアニメーションで作ろうとして挑戦し続けていました。
今思うと、不思議で想像できないけど、あの頃、詩も小説も書けなくて、何にもできなかった。
仕事先もひどい劣悪な環境で、いじめられたし、本気で仕事をを辞めようかと思う毎日でした。
中学の頃から、いや、小学生の頃から物語しか救いがなくて、本を読むことしか取り柄が無くて。
だから、小説家に対して、すごい憧れがある。
ある、ある、あるよなあ。笑
だから、詩が書けても、ずっと小説が書きたいんですよ。
もうトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』並みに呪われている。
北杜夫と同じです。
小説創作のプレッシャーで推し潰れそうで訳がわからなくなる瞬間や時間ばかりなんだけど、
それへ挑戦できていること、このフィールドに立っていることだけでも、本当は幸せなんだよね。
だって、’04年の僕は、小説や詩が描けるようになる未来なんて、何をふざけたことをと怒ると思うぐらい、ありえないことを今、やってるんだから。
’09年の原稿用紙3枚の童話がうまく書けなくて、アップアップした自分がいたんだよな。
’15年までの僕は、自分が詩を書けるなんて、これっぽちも思ってなかった。
だって、過去に何度も詩の教室に行っても、うまくどころか全然、書けなかったんだから。
ありえないよ。
’18年12月に、こうべ市民文芸の2席に入賞のハガキをもらうまでは、詩は才能ないから、辞めようと思う日々だったんだから。
今、詩が普通以上に描けるだけでも幸せだし、成功だよね。
息を吸うように、詩の言葉が出てくる。
別に自慢じゃなくて、モードを変えれば、ほんとそうなるのだから。
そのモードに入ると、自分も、自分以外の世界も全てが言葉で描写できるキャンバスに変わるのだから。
これだけでも本当は稀有で、すごい幸せなことなのに、
こと小説になると、日々プレッシャーで押しつぶされそうです。
書ける幸せよりも、書けない苦しさに、筆が、キーボードに指が重くなってしまう。
書くために必要だと思うと、好きな本すら読めなくなる。
無論、小説の文章は読みだすと読めるんですが、本自体が強制されないと、全然、怖くて、手に取れないんですよ、今。
いや、今だけじゃない、ここ何年もずっと。
年末の論文の新人賞に応募の時には、どんどん読めるのに。
書くのに参考にしようのときは、何時間も読めない。
テレビを見て、逃げてしまう。
だから、ふと、思ったんです。
どうせなら、今できないような、すごい、アホで遠大な目標を考えようと。
もちろん、小説や詩に関連して。
「憧れを捨てましょう。でないと、越えられなくなるから」だよね。
で、考えつきました!
あまりにもアホすぎる目標すぎて、実現不可能で。笑😛
ここに恥ずかしくて、書けません。
(’04年の自分からしたら、それと同じくらい実現不可能な位置に今、いますからね)
でも、それを考えたら、プレッシャーが小さくなった。
それに比べれば、新人賞デビューのレベルの作品を書くことなんて、小さいよ。
小さい。
小さい。
言い聞かせます。
小さな通過点目標へ向けて、淡々と作品を完成させること。
今まで、いっぱい教えてもらった恩返しをしよう。
いっぱい学んだことを、書こう。
なんか「世界の海援隊を目指す坂本龍馬の気分ぜよ」。笑
ああ、槇原敬之くんの曲「どんな時も」を口ずさんでしまう。