今日は、午前中に開放教室へバドミントンのコーチ。
午後は予定なく、体育館へのトレーニングも、この間、行ったから今日は行かない。
10日からは仕事が始まるから、せめて今日ぐらいは、小説創作へ打ち込まないとね。
何度も書いている、田中裕久さんの『ストーリー&キャラ創作入門』を単なるマンガ家用にはとどまらない名著だと思う。
Amazonの読後評では毀誉褒貶、両方あるけど、僕にはすごく納得できた本でした。
例えば、〈企画書〉を作る。ストーリーでも、プロットでもなくて。
これ、文字通り〈企み〉だから、すごくいいかもしれない。
今までのやり方を全て忘れて新しいアプローチが要るのだから。
月2本の企画書を考え、と、本にある。
それって、詩のタネを考えるのに似ている気がする。
なら、できるはずだ。
いや、普通に書けている詩も、新機軸として、〈企画書〉から作ってみるべきなんじゃないか、とさえ思う。
今、小説を書けないで苦しんでいる僕には、分析した図表のような遠回りな段階じゃない。
灯台のような方向性がない状態だから、企画だよね。
対:世間なのに、自分の殻の中へ閉じこもっている。
狭く中身のない自分の中じゃないよ。
物語展開は対:世間なんだ。
そこがズレてる。
ここで、「あっ!」と気づく。
時代小説家の、髙田郁さんもマンガ原作者から小説家への転身じゃないか。
だとすると、この一連の思考の流れはシンクロニシティの、流れになるよね。
高尚なる純文学と、下賎なるマンガ。
この無意識の偏見に囚われているのは、マンガが好きな僕自身なのが哀しい。
一つ、気づいたことがあります。
「表現力・スキルを学ぶ」には、二種類のアプローチがある、ということです。
感覚的・経験則的に量をこなせばなんとなく到達できるケースと、理論的かつ科学的に攻め込んでやっと理解できるケース。
人により前者の要素が大きい人と、前者の要素が少なくて不器用で後者を利用しないとできない人の二種類がいるんじゃないでしょうか。
だからこそ、
この、田中裕久さんの『ストーリー&キャラ創作入門』を前者タイプの人は無駄といい、後者タイプの人は素晴らしいと絶賛するわけです。
Amazonの読後評では毀誉褒貶、両方あるのは、そういう理由からです。
説明が長くなりそうで、かつ、すごく大切な気づきなので、詳しくは明日、書きます。