衝撃を受けた、宇多田ヒカルの「Automatic」の歌詞から井戸川射子論へ | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

昔話をします。

あの、今から25年も前、’98(H10)年に宇多田ヒカルの「Automaticオートマチック」の歌詞に衝撃を受けました。

 

その冒頭の歌詞、

「七回目のベルで受話器を取った君

 名前を言わなくても声ですぐ分かってくれる

 唇から自然とこぼれ落ちるメロディー

 でも言葉を失った瞬間が一番幸せ」

 

あれを初めて聴いた瞬間、15歳の彼女に比べて、

何も表現できる術を持たない自分が、限りなく惨めで、生きる価値がないと思えたものです。

 

「唇から自然とこぼれ落ちるメロディー」なんてことは自分には、絶対起きないと絶望したものですが、

あの時に、自分はある意味、「呪い」を受けた気がします。

当時、すでに絵はそこそこ描けていて、でも、今一つ上に行けてなくて、

結果、日本で初めて通信制4年制美術大学を開始した京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の洋画コースへ入学をしようと決意して、その準備で彫刻やその他デザインなども勉強をはじめました。

で、’00年に入学、’04年に卒業、次には慶應義塾大学の通信への入学と卒業、さらに放送大学大学院へ……と長く16年間に及ぶ第1次大学通信の勉強が始まったわけです。

(今は第2次大学通信の勉強で、放送大学の学部げ’20年入学、在籍中。’26年3月卒業予定、残り18単位・今期7単位)

 

気がつくと、25年経って、メロディーは無理でしたが、

言葉は自然と「こぼれ落ちる」ようになり、詩人になりました。

息を吐くように、言葉がこぼれ落ちる瞬間が体験できるようになりました。

不思議なことに。

 

それが詩では出来ても、小説では無理だったのが、出来そうな予感が、今あります。

この宇多田ヒカルさんの歌詞も、状況シチュエーションを描いているだけなんですよね。

 

 

 

 

実は今、井戸川さんの短編小説「ここはとても速い川」の分析を続けてます。

 

あくまでも、太宰治賞向け原稿を書くために、今回、何度目かの分析読みをしています。

(他の作家の作品も、ちょこちょこ)

 

本作には、【大小の同時状況語り】や【人物情報の付随するモノ語りと比較拡張】という現象・構造があると感じました。

この手の、自分勝手なネーミングの名付けによって、その機能がすごく良く、自分には理解できるんです。

これも詩人的な感覚であり、どこか研究家的だと思います。

 

よくここで、僕の欠点(呪い)として言っている〈ストーリー展開の呪縛〉との関連で言うと、

次の分析結果になりました。

 

僕が〈ストーリー展開〉から考えてシーンを描き出すと、ぷつぷつと途切れる〈静止画〉になりがち。

きっと、それは自分以外の他の人物要素からの影響を除外して、自分語りへ統一しようとしているから。

散文評論的な、説明文でまとめようとする、まとめ意識があるから、他の要素を排除してしまってるんですね。

他者情報をカットしている。

それをちゃんと入れること。

詩ではできるのに、散文になると、なぜか出来なかったんです。

 

ところが、今、井戸川さんの語る情景では、

それぞれの【状況下】で描かれ語られる他人の「モノ」たちがある、しかも、静止していない。

なぜだろう、と彼女の感覚へダイブしてみたんです。

また、これは前から理解して僕も取り入れている、外の、自然情景を【叙景詩化】して語る感覚が、この散文描写にもあります。

 

ダイブしてみると、それらをトータルで、なんとなくトレースできた、出来そうだ、と思いました。

まあ、感覚的な物なので、どうやってがうまく説明出来ません。

 

これって、自分が詩をやってるから、「見える」「感じる」体感できるものなんだと思う。

ここまで詩と表現を理解し体感できる、それをさらに言語化できる境地に達している、

そのことを、神様に感謝したい、と心から思いました。

 

自分に欠けている感覚と、なぜ欠けたかの分岐点も見えたから、修正できる、取り入れられる、と感じます。

 

もちろん、どうせ、感覚なので、井戸川さんと同じものを書くことは出来ません。

出来たら、それはそれで素晴らしいと思うのですが。苦笑

(そもそも、僕が感覚としてトレースした詩人、小説家はあまたおります。

 中也も、健治も、西脇順三郎も、黒田三郎も、荒川洋治も、漱石も、龍之介も、中島敦も、村上春樹もetc。

 そのほか、多くの歌人、柳人、俳人たち。

 全ての文学形式が好きなので。)

 

もちろん、こんな短い文章ではこの差、この変化のプロセスは、説明できません。笑

もし時間があれば、論文としてまとめて、

来年か、再来年に、三田文学新人賞の評論部門へでも出したいと思います。

 

それとも、誰か、僕に井戸川射子論を書かせてくれますかね?

 

僕の中には、表現者としての詩人・物語作家と、研究者が混在していますから。

(だから、この12月に評論を日本児童文学者協会へ1本、書きます)

 

井戸川さんの新しい短編集を、Amazonで僕も予約注文しました。

 

 

楽しみです。