今日は仕事が臨時のお休みに | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

今日は仕事が臨時のお休みになりました。

 

で、朝から10月10日に、宝塚市立図書館でやるブックトークの資料やら、

10月から始まる詩の教室の提出書類やらを作っていた。

 

やっぱり、詩だと、自分の作品の何処が悪いかの構成や語句の余分な箇所が、一目瞭然でだ。

当然、推敲もすらすら容易だ。

もちろん、最初からそうだったわけじゃない。

気がつくと、いつの間にかできるようになっている。

正直、セミプロぐらいのレベルにはなっていると思う。

あとは、ちゃんとした賞を受賞して、実力を証明するだけだな、と自惚でなく考えている。

 

それでも、いま、詩の方へ専念するのは逃げになっている。

実際、朝からの費った時間は、楽な方への逃げだった。

 

どうして、同じことが小説でできないのか。

相変わらず、例の〈ストーリー展開の呪縛〉が邪魔をしているのか。

小説を、才能主義的な神格化してしまっているんだろうな。

1回で完成させるべきものだ、と。

詩は二度三度、推敲して劇的にいいものに変貌する時があるのに?

小説はそうじゃいけないの?

なぜ?

 

さあ、長編児童文学新人賞の推敲をしよう。

もう今日しかないのだから。

できることを精一杯。

失敗でも構わない。

挑戦すること自体でしか、評価が舞い降りることはないから。