憧れの萩尾望都さんから。気づくこと。学んだこと。いろいろ大発見 | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

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小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

昨日、少女マンガ家の萩尾望都さんのマンガを分析読解してみたよ、と、このブログで書きました。

萩尾さんのSFマンガ『スター・レッド』の世界観と、その言葉、作品世界が僕の心に焼き付けられたのは、高校生の頃です。

もう遠い、遠い、気が遠くなるような大昔だけれど、今回、読み直して、あの頃の感動が一部、蘇りました。

 

ああ、自分が書きた世界がここにある、と。

どれだけ憧れても、絵どころか、その言葉すら近づけなかったポエジー(詩情)に、

詩が書ける僕は、少しだけ近づけています。

(というか、僕の心の中で、ずっと燻り続けている種火のような炎(ほむら)の原形は、ここにあったんだな、と気付かされました)

実は、絵も描けるようになっているんですが、もう、僕の残り寿命では、そちらに割く時間と労力のリソースがありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカのSF作家レイ・ブラッドベリはファンタジックな世界を描きます。

萩尾望都さんが彼から触発されたのは有名な話。

ここに挙げた『ウは宇宙船のウ』は、そのブラッドベリの短編をマンガ化したものでした。

原作のブラッドベリも、このマンガ化作品の方もどちらも若い頃、何度も何度も飽きるほど読み返しました。

作品にもよるけど、萩尾さんマンガ作品の方が優れているな、と視覚化された解釈の方が数段すごい、と思いつつ、

僕の中では、いつしか両者が融合している気配もあります。

 

今回、萩尾作品を、物語展開として分析したのは、あくまでも小説散文のためだったんですが、

分析しながら、萩尾さんのコマが融合するシーン、主人公たちが内省する言葉の乱舞に、はっきりとポエジーを感じました。

自分が、詩を書いていて、いつもたどり着くポエジーと同質なものを感じ取った気がしました。

だから、僕の詩を書く感覚の全てじゃないにしろ、これも答えなんだ、と気づいたわけです。

 

さて、肝心の萩尾作品の散文的物語分析が、いかなる風に行われたのかと言うと、

章立てに分解して、キャラクターの役割、伏線の埋め込みと回収、状況設定、作品説定、世界観・テーマの表出と、

実に詳細に探ってみるものです。

 

つまり、いわゆるドラマや映画での「香盤表」を、Excel形式にして、僕は書き込みます。

 

すると、予想通り、各章立てごとの仕掛けや、出来事は、

同時多発的に伏線置きも兼ねているだし、伏線回収因果プロットだった訳です。

 

何より人物が皆、出番、役割があって、確かに筋に絡んでいる。

これって、最近、ここで触れていた書籍『物語再入門』の指摘そのままなんですね。

 

小説の文章だとストーリー展開に埋もれて、僕には認知できないけれど、マンガだとすごく良く分かるんです。

きっと感覚的にイメージできるからだろうと思います。

 

そもそも、僕のストーリー展開は、というか、物語を書けるようになったのは、

その,きっかけからして、絵本やアニメーションからで、

マンガのネームのように情景が浮かぶシーン展開なものだったんでした。

ですから、このイメージ想起型じゃないと、物語展開はダメなのかもしれません。

 

そうそう。

去年、スラスラと書けて楽しかった自分の童話作品「チィちゃんは大幹部」は、そうした諸々の要素を含んだ複合的な〈状況シーン〉が頭に完全に浮かんだからかもしれない。

 

そうだとしたら、

僕がストーリー展開を〈ことばの粗筋〉でいくらこねくり回しても、

それが〈状況シーン〉に転換できなくても当たり前か。

国語と美術、小説とマンガは別物なんですから。

 

嘗て、講演会で、ファンタジー作家の上橋菜穂子さんが「精霊の守り人」は、

槍を持つバルサと少年が浮かんできて、なぜだろうから始まった、

と講演会で言っていたけど、それと同じかもしれません。

 

 

 

キャラクター単独、粗筋単独、テーマ世界観単独で個々にいくら思い浮かべても、

ちゃんと融合しなければ、僕の場合は物語が動かないんだろう。

少なくとも僕は。

 

なんとなく分かってたけど、その融合方法が、どうすればいいか、今まではまるで分からなかった。

 

でも、まず一枚目のコマ割の〈状況シーン〉を思い浮かべたら、

そこに含めた因果プロットから、蔦のように前後へ伏線埋め込みと伏線回収の要素を伸ばして設置したらいいんじゃないでしょうか。

 

そうして、〈状況シーン〉を少しずつ増やして行けば、

〈ストーリー展開の呪縛〉から逃れられるのかもしれない。

 

詩を書く場合は、僕にはシーンは数枚で済むから、楽なのかもしれません。

 

文学の女神様は、どうやら詩も小説も担当が別れていないのか、または、悪戯してみようと思ったのか、

小説の勉強のつもりが詩に繋がったり、はたまた逆の発見・進展があったりします。

そもそも、僕の場合、詩は小説の書き方を転用して書けるようになったから、そうなるのが自然なのかもしれませんが。

 

(そういえば、某児童文学の先生から、詩も短歌も小説、児童文学もいろいろやりますと言うと、呆れられました。

 でも、蛸壺のように引っ込むの無理なんです。

 どれもこれも深く知りたい。

 宮沢賢治じゃないけど、全て同じ心象スケッチなんですよ。)

 

ともかく、進み続けるしかない。

やってみるしかない。