今日は、15:30から楽しみにしている、詩の教室。
常勤の仕事をしていた去年までなら、絶対受けられなかったものなので、
そのありがたみをひしひしと感じています。
今でこそ、良作かどうかは別にして、
息を吐くように、詩のタネが生まれる僕ですが、
詩を書こうと思って詩の教室へ通っても、実は2回ほど全くダメだった経験があるんです。
このブログでも、その件に何度か触れてますが、
1回目は、今を去ること34何ぐらい前の20代後半だったころ。
僕の好きだった詩人の先生のもと、神戸の某カルチャーセンターに行きました。
1回目に出した詩をケッチヨンケッチヨンに酷評されて、
2回目を出す意欲やモチベーションを全く無くしてしまったんですね。
もうゲンナリして、二度と詩なんて書くまいと思いました。
あの時、違った風に〈誘導〉された経験をしてれば、人生は変わったでしょうね。
思えば、先生は「書け書け。自由に書け」の才能主義の指導でしたね。
その癖、初心者を貶しまくる、という鬼対応。笑
当然、自分には〈才能〉がないと思って、当たり前です。
(同時期に、行った、大阪の某カルチャーセンターの自称小説家の(たぶん大阪文学学校系の純文学系作家)先生も、
書き方はほとんど教えずに「書け書け」主義の方でした。)
僕が〈才能主義〉を憎むのは、その原初体験が原因ですかね。
2回目は、'09年のこと。
童話・小説系がなんとなく書き始めることができたので、
もう一度、詩の、教室へ通ってみました。
でも、その一度目のトラウマもあって、やっぱり1作品も提出できずに6回の講義を撤退しました。
その教室に再び通って、作品提出のリベンジを果たしたのは、8年後の'17年ですから、
自分は諦めが悪いというか、執念深いですね。笑
さて、詩が書けるようになった'16年のブレイクスルーを経て、
それから何度も飛躍のきっかけを手に入れて、
今の自分があります。
今日の、小池昌代先生の、詩の教室は、また大きくブレイクする予感を持ってます。
あと、2回。
頑張ります。