今日は、楽しみにしている詩の教室 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

今日は、15:30から楽しみにしている、詩の教室。

常勤の仕事をしていた去年までなら、絶対受けられなかったものなので、

そのありがたみをひしひしと感じています。


今でこそ、良作かどうかは別にして、

息を吐くように、詩のタネが生まれる僕ですが、

詩を書こうと思って詩の教室へ通っても、実は2回ほど全くダメだった経験があるんです。


このブログでも、その件に何度か触れてますが、

1回目は、今を去ること34何ぐらい前の20代後半だったころ。

僕の好きだった詩人の先生のもと、神戸の某カルチャーセンターに行きました。

1回目に出した詩をケッチヨンケッチヨンに酷評されて、

2回目を出す意欲やモチベーションを全く無くしてしまったんですね。

もうゲンナリして、二度と詩なんて書くまいと思いました。


あの時、違った風に〈誘導〉された経験をしてれば、人生は変わったでしょうね。

思えば、先生は「書け書け。自由に書け」の才能主義の指導でしたね。

その癖、初心者を貶しまくる、という鬼対応。笑


当然、自分には〈才能〉がないと思って、当たり前です。


(同時期に、行った、大阪の某カルチャーセンターの自称小説家の(たぶん大阪文学学校系の純文学系作家)先生も、

書き方はほとんど教えずに「書け書け」主義の方でした。)


僕が〈才能主義〉を憎むのは、その原初体験が原因ですかね。


2回目は、'09年のこと。

童話・小説系がなんとなく書き始めることができたので、

もう一度、詩の、教室へ通ってみました。

でも、その一度目のトラウマもあって、やっぱり1作品も提出できずに6回の講義を撤退しました。


その教室に再び通って、作品提出のリベンジを果たしたのは、8年後の'17年ですから、

自分は諦めが悪いというか、執念深いですね。笑


さて、詩が書けるようになった'16年のブレイクスルーを経て、

それから何度も飛躍のきっかけを手に入れて、

今の自分があります。


今日の、小池昌代先生の、詩の教室は、また大きくブレイクする予感を持ってます。

あと、2回。

頑張ります。