昨日の続き、創作で学ぶ凄さ | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

昨日の詩の創作講座と講座学習歴の話の続きです。

 

僕の、このブログを長く読んでいる方には、似たような話はしているので、

適当にスルーしていただいて構いません。

 

僕が7年前に詩がふっと書けるけるようになった話は書きました。

小説的読解法を詩に転用することで。

それは細かく文章で説明するのは不可能なんですが、

「ずれ」「変化」「発見」などのポイントと書かれている表現を、その分析で普遍化する読解法です。

僕がほぼオリジナルで完成させました。

創作するときは、逆に自分自身の日常体験に、その「ずれ」などのポイント他を当てはめ、個別化する形を取っています。

 

その当てはめ方は、このブログの中で、個々に申し上げているので、読み取っていただく以外ありません。

本当は、ある方法があるのですが、それは身バレするので、ここに書けません。

 

でも、今、思うのは、もし14年前に詩が書けたなら、俳句や川柳や短歌やら、エッセイ創作教室までは手を広げなかっただろうことは、確実です。

それが遅れたからこそ手に入れたものであり、

また逆説的に、小説がちゃんと書けないから、詩が書けるようになった訳です。

 

つまり、今の僕の小説の書き方には100%、詩の書き方体験が反映しています。

そして、おそらく、短歌、俳句、川柳の創作体験も反映していて、かつ、エッセイの創作により、韻文と散文の相違点にまで思弁が到達しております。

 

また、付け加えれば、この文学創作以前の、長く続けた大学通信教育の映像撮影創作、アートアニメーション創作、ストーリーマンガ史研究も反映しています。

 

それらが、全て財産になっています。

 

マンガ・スラムダンクのラストでの、山王工業の監督の、「「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産になる」の名セリフ。

負け続けた僕にとっては、一生、背負っていく十字架です。

 

失敗を、「財産」にしようとあがき続けた人生が、僕の生き方です。

「いつか」は、今だと信じて。

学びの本質は、自己を固定化せず、他者から、負けた自己から、知識から、学び続けること、だと思っています。

もっと高く、今よりも、もっと。

究極、ゴールは自己の生の終わり、死ぬまで、です。

たとえノーベル文学賞をもらおうとも、たぶん関係ありません。

きっと満足しないでしょう。

 

その点では、将棋の藤井竜王の気持ちは、僕にはよくわかります。

もっと前へ、もっと高く、です。