詩誌『ココア共和国』2月号へ入国できませんでした。
これで、2ヶ月連続落選で、珍しいことです。
でも、これはこれで仕方のないことで、来月の入国を目指します。笑
さて、時々、書いていた新表現形式の詩篇ですが、
徐々に自分の詩風へ少しずつ馴染んできました。
この間のオンライン教室に試作品を出したところ、どこかマズイか、優れているのか、よくわかりました。
いつものように、詰め込みすぎ癖が原因でした。
整理してみたものを、来月分としての提出の「ユリイカ」へ送ってみました。
来月半ばの結果判明が楽しみです。
同様の新形式を、『現代詩手帖』にも送っております。
「びーぐる」落選、「ココア共和国」落選と、なんだか落選続きなんですが、
どれも旧形式だったので、惜しくない気がしています。
まだまだ実感と、新表現が乖離しているので、徐々に埋めていかないといけません。
また、昨日、オンライン児童文学教室へ2回分のうち60枚を送りました。
前に書いた分の焼き直しですが、2月の批評を待ちたいです。
3月には、講談社児童文学新人賞か、純文学系かの、どちらかを最低でも出したいです。
もう、あと2ヶ月なので、だいぶ苦しい予定なんですが、
きっと苦しくない時は永遠に来ないので。笑
無理してでも書かないと、これまた僕はずっと逃げまわってしまいます。
今回、送った60枚もほんのちょっぴり改稿しただけなんですが、
〆切がないとそれすらやらず、逃げまわっていたことでしょう。
詩だとすらすら改稿できるのに、この差は一体なんなんでしょうね。
最近、またシンクロニシティを感じています。
シンクロニシティとは、ユングが説いた、意味のある偶然のことです。
運命の歯車と言ってもいいかもしれません。
僕の実感としては、「神の見えざる手」と呼んでいます。
これが起きるとき、思わぬ場所で、偶然、昔の知り合いと再会したり、
知り合いの知り合いが、知り合いだったことに気づかせれたりする現象が、
その前後にしばらく続いたり、予兆があったりするんですよね。
僕は過去に、その偶然の重なりで、某全国的な賞を受賞したり、共著を書いて出版したりしました。
その関連で、偶然が綾なす運命の糸をふっと感じる瞬間があります。
それをシンクロニシティ期と呼んでいます。
ただ、それは棚ぼた式に幸運が訪れるものではなくて、
当人の努力が前提で、ふっとウルトラマン的に運命がアシストしてくれる機会がある、という感じでしょうか。
(ウルトラマンと同じで、こちらから呼んでも飛んで来ません。笑)
12月の終わりに、昔からの知り合いと思わぬ場所で再会してから、
今回はぼそぼそと始まって、いろいろな発見をしています。