放送大学の記述受験科目の勉強法とは。奥義の真面目な解説から「北斗の拳」まで。 | 読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

読書と、現代詩・小説創作、物語と猫を愛する人たちへ送る部屋

小説や詩の創作、猫また大学通信を書いています。Twitterは、atlan(筆名:竹之内稔)@atlan83837218 放送大学在学中。「第8回新しい詩の声」優秀賞を受賞。
 京都芸術大学の通信洋画&文芸コース卒業/慶應義塾大学通信卒業/東洋大通信卒業/放送大大学院の修士全科生修了。

昨日の、放送大学の科目「都市から見るヨーロッパ史(’21)」の単位試験の勉強に関する続きです。

ただし、少し思い出話から入ります。

 

僕は、’00年の京都造形芸術大学(洋画コース)を皮切りに、16年間、大学通信教育の勉強に熱中してました。

 

一番、難しく面白かったのは、’03-’07年の4年半に及ぶ慶應義塾大学の通信教育部の勉強で、「知の再構築」と自分では呼んでいます。

レポートは何度か、落とされましたし、中には「西洋哲学」のように修得を諦めた科目もあります。

基本、僕はレポート書く際、10冊ぐらいは参考文献を流し読みも含めて読みますし、落とされることは慶応以外、皆無でした。

 

慶応の卒論で、12万字書きましたので、その経験がどこか、今の文学創作の礎になっていると思います。

書くことの苦しさ、面白さに目覚めたのですね。

もっと勉強したくなって、次に’08-’10年放送大学大学院へ進みました。

そこで、14万字の修士論文を書き、修了して、その途中で、絵本の制作から’07年童話創作へ足を踏み入れました。

(それが、今に始まる文学創作への長い旅路の始まりです)

 

それから、’10-12年京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)文芸コース卒業、’12-16年東洋大学文学部卒業で16年間。

その後、少しブランクを置いた’20年に放送大学教養学部へ編入しました。

 

今、思うと、二度とあんな情熱で勉強できません。汗

レポートも書けないし、長い論文なんて、もう出来っこないです。(東洋大学では、3-5万字ほどか)

 

でも、論文・レポートとなると、昔の血が騒ぐんですね。

特に、レポート試験なんて、ワクワクしてしまいます。

今回の放送大学の科目「都市から見るヨーロッパ史(’21)」の800字の論文試験は、結構ハードです。

だって、50分の制限がありますから。

いくらテキストがあっても、最低60分が相場でしょう。

 

課題が分散してたら、それを探すだけで最低でも10分以上かかりますから。

で、構想に7分使ったら、残り33分ほどで、800字を書き上げないといけません。

 

だとしたら、と僕は考えました。

そこで、過去問の出題傾向を分析。

きっと、この相違点をついてくるな、と出題を予想。

その仮定に基づいて、テキストを読み直し、チェックする。

この作業に、5時間掛けました。

 

所詮、試験と名のつくものは、過去問対策が基本ですから。

同じ想定外は、想定をまるでしていないのとは大違いですので。

 

で、結果は、予想通りに、おおむね出題されてました。

それでも、上記の時間配分と、書きながら途中で終わってもいいような書き方、追記の形でも文章がたせる書き方をしました。

きっちり800字、書き終えました。

 

しんどかったですが、久しぶりに燃える緊張感は楽しかったです。

いわゆる、ライティング・ハイのゾーンに入って、脳細胞が沸騰して活性化してしまいました。

おかげで、こんな文章を後で書きたくなってしまいました。

 

そもそも、今回、もう一つの科目「日本語アカデミックライティング’22」をとったのも、

自分流の書き方に研究的な書き方の正当性を裏付けるためでした。

文学系の文章だから、論文的な書き方が無関係かというと、そうじゃないと思っています。

パラグラフと段落の使い分けと使い方など、とても興味深いものがありましたから。

 

たとえ文学でも、自分の手持ちのスキルだけで描こうなんて、僕からしたら才能主義以外の何物でもありません。

あらゆる奥義を極めなければ、真の奥義には到達できない、のだ、と。

 

まあ、マンガ『北斗の拳』で拳王ラオウ様が、せっせと他拳法・他流派の奥義を集めていたのは、格闘技オタクのあるあると同時に、ラオウ様が真に求道者だったからだ、と僕は思っています。(なんのこっちゃ。笑)

 

 

 

 

 

『北斗の拳』の外伝も面白いですね。

天才アミバと、イチゴ味は爆笑しながら、読んでます。

 

今日は、午後、児童文学講座です。