尾形亀之助の詩篇に学ぶ | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

尾形亀之助の研究書を手に入れたので、読み始める。


『尾形亀之助の詩』福田拓也著、思潮社。

かなり、回りくどく、難しい書き方が続く。


亀之助の詩を冒頭、亀之助と同時代の高村光太郎の賛辞が紹介される。


「ただごとのやうな詩」でおりながら、「尋常一様の言葉ではない」。また、「その言葉は現実を語ってゐて、同時にその現実を超えてゐる」

p10とする。


筆者の福田さんは、亀之助の詩を「幽霊が戻ってきたような」詩という。


これら、光太郎と福田さんの言は、どちらも卓見だと思うが、

なぜ、そうなのかの理由の説明にはなっていない。

でも、僕には、それだけで凄く刺激になった。

まだ、この本を数十ページしか読んでいないが,自分で亀之助の詩を読み返した。


異化と断絶、ズレがいっぱい見つかった、

僕自身が、つい意味に囚われて、平凡な詩句を書いてしまうから、

逆にその断絶の凄さがわかった。

ここだな、これを学び取ればいいんだ、とわかる。