詩を読む愉しみの一つは | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

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文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

僕にとって、詩を読む愉しみの一つは、

ある時、ふっと見えなかったものが見え始める瞬間があること。


何とも思わなかった詩句の一節が、

ちょっとしたキッカケで、

ぱっとモノクロにカラーが塗られるように、極彩色で、その詩の良さが見え始めること。


そもそも、僕が詩を書けるようになったのも、

6年前、ふっと「渡辺玄英詩集」の詩の中に、小説的な物語を発見して、

これなら書けると思ったことだったから。


以来、たくさんの詩や詩人から、たくさんの発見と吸収があって、

今の僕がある。


今回、ポエム水さんのコメントから、マーサ・ナカムラさんが、大正時代の詩人、尾形亀之助から影響を受けた、という指摘に、

もう一度、亀之助を読み直してみようと思ったこと。


で、読み直してみたら、

確かに。

確かに、マーサさんの、ある意味、唐突なイメージの絡め方、面白い語句配列と、

確かに似ているものがあることに気づかされた。


前には、何か散漫で、壊れた不完全なポエジーしか感じられなかった亀之助の詩句が、

散漫さこそ、何か読み手に訴えかける行間のあることに、

気づかされた。


僕が修得している、換喩的な、つながり方とは違うもの。

でも、何かしら、法則性を感じさせるもの。

確かにある、と感じられた。


面白い!


僕の今の、意味にこだわって繋げる語句感覚から、自分が解放された気分になる。


勉強になりました。



そもそも、亀之助の詩との出会いは古く、詩を書く前の、20年近く遡ります。

僕は松本竣介の絵が好きで、亀之助の詩集『美しい街』のカット絵を、

松本竣介が書いてたんですね。


なんと、つまらない詩だろう、と、その頃は思ってしまったので、

その第一印象から、ずっと逃れられなかったんです。


たぶん、僕は、詩のあらゆる奥義を、こうして少しずつ身につけて行くのでしょうね。

一生涯。


それと、急に話題がアクセス数の話になりますが、昨日、340もありました。

皆さま、いつもありがとうございます。

こうして、連日300越えが続きますと、頻繁なので、400で挨拶にしようかと思いますが、

きっとすぐ落ち着くと思うので、まだいいでしょうか。