僕にとって、詩を読む愉しみの一つは、
ある時、ふっと見えなかったものが見え始める瞬間があること。
何とも思わなかった詩句の一節が、
ちょっとしたキッカケで、
ぱっとモノクロにカラーが塗られるように、極彩色で、その詩の良さが見え始めること。
そもそも、僕が詩を書けるようになったのも、
6年前、ふっと「渡辺玄英詩集」の詩の中に、小説的な物語を発見して、
これなら書けると思ったことだったから。
以来、たくさんの詩や詩人から、たくさんの発見と吸収があって、
今の僕がある。
今回、ポエム水さんのコメントから、マーサ・ナカムラさんが、大正時代の詩人、尾形亀之助から影響を受けた、という指摘に、
もう一度、亀之助を読み直してみようと思ったこと。
で、読み直してみたら、
確かに。
確かに、マーサさんの、ある意味、唐突なイメージの絡め方、面白い語句配列と、
確かに似ているものがあることに気づかされた。
前には、何か散漫で、壊れた不完全なポエジーしか感じられなかった亀之助の詩句が、
散漫さこそ、何か読み手に訴えかける行間のあることに、
気づかされた。
僕が修得している、換喩的な、つながり方とは違うもの。
でも、何かしら、法則性を感じさせるもの。
確かにある、と感じられた。
面白い!
僕の今の、意味にこだわって繋げる語句感覚から、自分が解放された気分になる。
勉強になりました。
そもそも、亀之助の詩との出会いは古く、詩を書く前の、20年近く遡ります。
僕は松本竣介の絵が好きで、亀之助の詩集『美しい街』のカット絵を、
松本竣介が書いてたんですね。
なんと、つまらない詩だろう、と、その頃は思ってしまったので、
その第一印象から、ずっと逃れられなかったんです。
たぶん、僕は、詩のあらゆる奥義を、こうして少しずつ身につけて行くのでしょうね。
一生涯。
それと、急に話題がアクセス数の話になりますが、昨日、340もありました。
皆さま、いつもありがとうございます。
こうして、連日300越えが続きますと、頻繁なので、400で挨拶にしようかと思いますが、
きっとすぐ落ち着くと思うので、まだいいでしょうか。