最近、長い小説本がきちんと読めなくなってきている。
もちろん、読み出すと、ちゃんと読めるんだけれど、
なかなか手が伸びない。
読書が苦手な高校生みたいになっている。
気持ちとしては、いつでも読めると過去の栄光に浸っているんだけれど、
はっきりと抵抗感がある。
『ココア共和国』や『ユリイカ』の投稿欄なんかは抵抗感なく読めるから、
文字そのものへの忌避ではない。
仕事関係で、読む長い文章や小説の本は読めるから、
別に小説自体が嫌いになった訳ではない。
そんな馬鹿なと思うが、
もう身体全体が、詩や短詩型文学に順応してしまったのかもしれない。
そんな中で、随分、時間をかけて、
分析読みしているのは、児童文学講座の先生からお勧めいただいた小手鞠るい著『心の森』。
日本人の、小学生が父の転勤に伴って、転校したアメリカの生活を描いた話。
児童文学だ。
でも、大人でも読める心情描写が続く。
ちょうど湯本 香樹実や、児童文学風味の宮下奈都を思わせる文体で、僕は非常に好きだ。
こんな風に書きたいな、と思わせてくれる書き方になる。
うーん、どこかで、詩を書いたり読んだりするのを一時、完全に絶ってみるべきなのかもしれない。
小説尽くし。
そんな荒療治をしないと、詩の片手間で書けるほど、
簡単なものではない気がする。
もちろん、息をするように詩の種を書いてしまう現状なので、
実際に書かないことは無理です。
けれど、
日常の合間に、小刻みに詩を書く生活自体を僕がここ数年にしっかりと構築してしまっている。
無意識のうちに、詩の種を考えてしまう現状を変えないといけないのかもしれない。
別にずっとという訳でなく、
3月〆の講談社児童文学新人賞と、純文学系100枚のために。
これから四ヶ月。
試しに、『公募ガイド』の投稿5枚を書こうかな。
この話題は明日も。