まだ収まりません。笑
で、思ったんです。
以下、分析結果を、常体文章で書いてみます。
「講座を受けて、間接的に分かったことがある。
今まで、自分にとっての小説創作は現実世界とは全く接点がない世界を100%作って書いていたこと。
これ自体は,分かってはいても、どうにも出来なかった。
結果的に、作品は、
とても頭でっかちで抽象的な作り物になりがちだった。
つまり、自分一人で作っていた自力のみ作品だった訳だ。
それに対して、詩の創作は、
現実との接点をどこか保ったまま創作できたから、
日常実世界から、事象をダイレクトにケースバイケースでどんどん引っ張って来れたんだ。
だから描きやすかったんだろうと思う。
こちらは、自分の力でだけじゃなくて、観察による他力や他存在の発見を利用できる、
言わば、
作品世界はドラゴンボールの元気玉みたいなもので、助けられた作品だった訳だ。
つまり、そこには自力を超えた作品力があったんだ。
作品ごとに、自分の器は千変万化して定型はない。
だから、近代詩的な感情主張詩から、童謡詩、現代詩的な象徴詩まで、どれでも書けたんだな。」
というような分析がふっと出来ました。
自分で心底から得心できました。
じゃあ、これから、まるで違う書き方をすれば良い。
「小説においても、現実との接点を持ったまま、異化世界や異化感覚を表現出来たら、
現代詩と同じくもっと自由に描けるよね、たぶん」という訳です。
自分の進むべき方向性が、少しは見えた気がします。