まだ興奮が収まりません | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

一昨日、受けた小野美由紀さんのライティング講座の興奮が、
まだ収まりません。笑

で、思ったんです。
以下、分析結果を、常体文章で書いてみます。

「講座を受けて、間接的に分かったことがある。

今まで、自分にとっての小説創作は現実世界とは全く接点がない世界を100%作って書いていたこと。

これ自体は,分かってはいても、どうにも出来なかった。

結果的に、作品は、

とても頭でっかちで抽象的な作り物になりがちだった。

つまり、自分一人で作っていた自力のみ作品だった訳だ。


それに対して、詩の創作は、

現実との接点をどこか保ったまま創作できたから、

日常実世界から、事象をダイレクトにケースバイケースでどんどん引っ張って来れたんだ。

だから描きやすかったんだろうと思う。


こちらは、自分の力でだけじゃなくて、観察による他力や他存在の発見を利用できる、

言わば、

作品世界はドラゴンボールの元気玉みたいなもので、助けられた作品だった訳だ。


つまり、そこには自力を超えた作品力があったんだ。

作品ごとに、自分の器は千変万化して定型はない。

だから、近代詩的な感情主張詩から、童謡詩、現代詩的な象徴詩まで、どれでも書けたんだな。」


というような分析がふっと出来ました。

自分で心底から得心できました。


じゃあ、これから、まるで違う書き方をすれば良い。


「小説においても、現実との接点を持ったまま、異化世界や異化感覚を表現出来たら、

現代詩と同じくもっと自由に描けるよね、たぶん」という訳です。


自分の進むべき方向性が、少しは見えた気がします。