コロナの影響で、出す予定だった地方文学コンクールや、文芸祭がどんどん中止になっているので、
新規を探して、見つけたもの。
埼玉県人はテーマ自由だか、
僕は非埼玉県人なので、
埼玉県に関わる人物たちにモチーフを取ることが必須条件。
従って、そうした人物へのオマージュをしつつ、
自分の作品世界を繰り広げる形になる。
これが楽しい!
心からそう思ってしまう。
小泉八雲関係のコンクール二つでも同様の趣旨で(小泉八雲関係で、という縛り)、
去年詩を書いた経験があり、
、今年も一篇すでに改作して提出している。
人によると、こうした制約をウザく思うのだろうが、
僕の場合、自分の中の研究者魂が喜ぶので、とても書きたくなってしまう。
そう言えば、伊豆文学賞に出した掌編小説も同じくある人物へのオマージュ的な作品だった。
きっと、もし万が一作家になれても、僕はこんなオマージュ・モチーフ作品を描きたくなるんだろうな、と思う。
昨日は午後、夏季休暇で早引きして、これらの創作案を考えてしまった。
楽しいから書く。
これほどシンプルで最強の動機はないな。
きっと来年も参加させて頂きます。
どの地方文学賞やコンクールも、もし正賞やグランプリを獲ったら、
翌年からは参加を辞退するのが礼儀だと思っています。
後進に道を譲り、自分は新たなる挑戦で上を目指すべきか、と。
さて、なかなか書く意欲が高められない長編作品も、
この手の作品にすればいいのかな、なんて思ってしまう。
そうそう。真剣、いいかも知れない。
全て、自分一人だけでオリジナル世界を構築しなければならない、なんて勝手な不文律で、
気づけば、自縛してしまっている。
それって、
自分の作風はこれだ、とまだ初級者なのに狭めたり、
才能ないから出来ないと新しいジャンルへ挑戦しなかったりするのと、
同じくらい傲慢なことなんじゃないかな。
長編がかけないことの、これが、
根本原因なんだろうか。