昨日も書いたように、突貫工事でしたが、
無理やり、児童文学雑誌「飛ぶ教室」の投稿童話10枚を、
予想外に満足できる仕上がりで完成させて、無事に投函しました。
今までと違う書き方を、とにかくすることを第1目標に、
その他、いろいろ欲張り条件を付け加えたのですが、
意外にどれもクリアできました。
自己分析してみると、
今までの書き方が根本的にどこもかしこもズレてたようです。
書き手主体の、主人公中心というよりも、本当に主人公だけが神様のように何でも知ってて、書き過ぎてたんですね。
出来事と、他人、他者を書かないといけなかったんですね。
自分では書いているつもりで、全然ダメで、大馬鹿の勘違い野郎でした。
見本さんの読み込んだ童話は、僕の書き方なら詳しく書くところをスルーして読み手の想像に任せる文体でした。
本当、みずみずしい感性が感じられる見事な作品でした。
で、僕のやった事は、今までやってきた韻文系の書き方感覚を、極力、思い出しながら、挑戦しただけでした。
他者と風景描写の観察は、俳句的な感覚でしたし、
他者から行動の事件は、川柳や現代詩の社会意識の出来事感覚でした。
心情描写は、詳しく書かずに、短歌的な字数制限を自分で課して省略省略に徹しました。
なんで、散文だと書きすぎてしまうんでしょうね。
この「飛ぶ教室」への投稿は、3ヶ月置きの締め切りなので、次回は8/10で、さらに11/10です。
しばらく、ここへ定期的に投稿することを自分に課そうと思いました。
短編では、他に、明石市文芸やら、名古屋市文芸にも、10枚の児童文学短編があります。
新美南吉童話賞なら7枚です。
さらに、本丸の日産童話と絵本のグランプリも。
新美南吉童話賞や、日産のグランプリは今までも何度か応募して、
全然ダメで、自分でも短編童話を書く才能は絶対的に無いんだと分析できて、
一昨年に、基本、改作以外、もう書かないと見切りをつけたはずなのに、
ここへ来て、再浮上の予感があります。
いや、短編だけじゃなくて、中編、長編も書き方、変えてみたら、と思います。
正確には、書き方というよりも、筆の留め方でしょうか。
大昔、急にデッサンが描けたときのことを思い出しました。
光と影で捉えることができて、足すよりも練り消しで消すことを覚えたら、デッサンだけじゃなくて、
油彩画、パステル、水彩、なんでも御座れになったときのことを。
なんかエレベーターに乗ったのに、エスカレーター用の階段登り口を一生懸命、探していたような。
そんな勘違いをしてきた9年間だったのでしょうか。
人間、諦めずに書き続けてみると、いいこともあるんだなあ、と改めて思いました。