この間の日曜日、国民文化祭に出す詩の推敲と、資生堂の花椿へ出す詩の推敲をしていました。
相方の読者1号(何の創作もしない)に国民文化祭の詩を見せると、
「ああだ、こうだ」とケチを付ける、いや、もとい、オホンオホン。
有難いアドバイスを頂いたので、書き直し続けました。
いつもは、詩を見せても、メタファーなど認めずに的外れなことしか言わないので、
無視して、見せないのですが、
まあ、いいかと蟷螂の斧を採用してやりました。笑
国民文化祭は、一般感覚の詩が採用されますから。
詩のモードに入ってしまうと、現実の周りを観察する俳句モードとは、
まるで感覚が違ってしまっているのが、よくわかります。
俳句はあっと閃きで、ほぼ作品原型が出来あがるんですね。
あとは頭の中の、映像を吟味しながら、まとめるだけ。
詩は違います。
僕の場合、カメラは寄りのアップショットや、引きのロングショットを、
組み合わせるし、〈撮影時間〉をもっと長く撮る感じですね。
短歌の方が詩に近いです。
ワンショットではありません。
まだまだ、詩のモードの方が、僕にはホーム感が強く、帰ってきたな、と感じます。
俳句を本格的に書くまでは、こんな感触はなかったので、
とても面白いです。
かねてより、予想していたように、
詩の推敲の際に、俳句的な五七調や言いやすいリズム感を自分の抽斗から出して、
チェックできました。
言葉の配列感覚が以前より研ぎ澄まされてるのが、分かります。
しめしめ、です。笑
資生堂の花椿の方も、前に書いたように、
お洒落な生き方の提示にはなりませんでした。
もろに暗号のような現代詩ではありませんが、メタファーをいくつか入れる現代詩寄りの作品です。
うーん、言いたいことを表現するのは、僕には日常だけの言葉では物足りなくて、無理なんですよね。