昨日は朝からずっと鬼貫顕彰俳句に応募する2句を、普段のストックとして創作作品やネタ帖を保存してある十二音日記から選び出して、推敲していました。
鬼貫顕彰俳句は、投句料も1.000円かかるちゃんとした公募賞です。
詩や小説、児童文学以外で、僕が俳句として新聞関係以外で初めて投句する賞となります。
結構、頑張って考え抜いて、再創作しました。
「短歌は独りよがりになりやすい詩型でもあるからです。
そこで、独りよがりの自己満足で終わらないための三つの条件を考えてみました。
1、誰かに読んでもらう 2、自分の歌を知る 3.自分以外の歌人を知る 」
これは、最近、読んでとてもよかった本からの引用です。
先月までTVのNHK短歌の選者でもあった江戸雪さん著『今日から歌人!』(スバル舎リンケージ)の文言です。
もちろん、これは短歌を貶して仰っているのではなく、
いかに自分の歌力を上げるかで、
同人誌や結社に属すること、そして、新聞簿文芸欄に投稿することを勧める例として挙げられたものです。
この「自分の歌を知る」には、同人誌で他者の講評にもまれる必要があること、結社に属して師匠から講評してもらうことの大切さを説かれたもので、
新聞の投稿が一番、その自分が知る機会が少ないとありました。
僕もそう思ったので、俳句や短歌の講座にいくつか予約したのですが、
このコロナ騒ぎで、全て休講になってしまいました。
お陰で、もう4講座も受講したことのある詩の教室と比べて、
いまだ俳句、短歌、川柳はちゃんとしたものどころか、全く誰からも教授されてません。
勉強オタクの僕としては、非常に残念です。
まあ、詩め最初、誰からも習わずに、入門書をみて作り始めたので、
別に構わないんですがね。
さて、この本で、江戸さんは、
「見たままを言葉にすると材料が多すぎる(略)いかに内容の重複をなくすか。(略)それは自分の目や感覚を疑う、ということです。(略)ある場面を切り取って短歌の言葉にするために、その場面に存在する自分や事物をもう一度、もうひとつの目で見直すことができたということです。」
「言葉を見つめるということは、自分を見つめることだからです。自分を見つめるのはほんとうにしんどい。」
「過去のことを歌にすれば過去を生き直すことになったり、未来を見つめて歌を作れば未来をつかみとる勇気も湧いてくるかもしれません。」
「短歌を作ることですくわれたと感じたひとは、短歌を作る過程で、新しい自分に出会ったのだとおもいます。」
というように、次々と卓見を述べられております。
さらには、
「ほとんどの場合、自分のイメージした世界そのままを読んでもらうことはありません。(略)詩は誤解されるものだとおもっておけばいいのです。」
「自分と作品の距離は、なるべく遠く保つことが大切だとおもいます。
そうすることで、自分の、歌はどんなふうに他人に読まれ、評価されるだろうかという意識を頭の片隅に置きながら歌を作るようになります。」
というように、他者の目を意識した読みを手に入れることの必要性を述べられており、
これは短歌のみならず、俳句や川柳、詩においても大いに共通する考え方だろうと思いました。
たぶん、僕はこうして、短歌の本を読みつつ、俳句や詩を考え、
俳句の本を読んでは、短歌、詩に転用しながら、読み終わるのだと思います。
また、昨日は、某新聞に出す俳句・川柳を各2句ずつと、短歌を2首、それに、詩を2篇、選んで推敲完成も無事、終えました。
ともかく、この新聞へ俳句・川柳・短歌を毎月、2句ずつと2首出すことと、
同じく詩を、こちらは1篇でも投稿し続けることを、今年度の最低ラインに置いています。
先月や、先々月に応募した、川柳・俳句・詩の6作品の結果はまだ、月末まで分かりませんが、
全滅ではないことを祈るしかありません。
あと、東京メトロの応募作品も完成させました。
こちらは入選は到底、無理なレベルなのですが、自分の過去の想い出に忠実な作品に仕上がりました。
それと、今日中に資生堂花椿の詩をなんとか完成させようかと思っています。