常識スイッチ | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

散文を、いや、韻文も、書いていて、思うのは、
常識スイッチのON.OFFの難しさでしょうか。

僕の感覚では、小説など散文は常識を踏まえながら、
いかに非常識のズレを描くかに掛かっている。
最初から非常識をかいたのでは、すぐ、そんな馬鹿なと突っ込まれて終わってしまう。

詩や短歌だと、一瞬の切り取りなので、
そう破綻はないのですが、
散文は量が多くて、書けば書くほど矛盾が生じたりする場合があり、
一筋縄ではいかない。

かと言って、常識的なことばかり書いていては、だから? と退屈されてしまう。

普段、立派な?良識ある社会人として暮らしていれぼいるほど、
このギャップを乗り越えられないんじゃないかと思います。

詩を書いたり、季節の変化に季語を感じたりするのは、充分、変人で、
非常識な世界に足を踏み入れている気がするんですがね。