たぶん、このブログをお読みのほとんどの方は知らないであろう《伊丹一句の日》。
何、それ、と思われたでしょう?
兵庫県伊丹市が、毎月19日をそう設定して、毎月、俳句を募集しているんです。
僕も俳句を作り始めた後で、しかも、この1ヵ月ぐらい前に知ったばかりですから。
たとえ、兵庫県内に住んでいようが、知らなくて当たり前だと思います。
伊丹市は、俳句都市宣言をしています。
江戸時代の俳人で、上島鬼貫という人物(俳聖・松尾芭蕉と同時代の人で、
「東の芭蕉、西の鬼貫」と後世の人に称せられた)を中心にした、
俳句関係の柿衛文庫という日本の俳句三大資料館の一つがあります。
で、伊丹一句の日には、
19〜21日に何句でも投句できますが、入選は1人1句と制限があります。
僕は今回、はじめて投句を行うので、3句まとめてやりました。
どのレベルで、または、どの傾向の句で入選するのか、お試し用に。
それこそ、普段付けている十二音日記から抜粋したものです。
これで、俳句として投句したものは、
讀賣俳壇1句、某地方新聞2句×2回、いかなごのくぬぎコンクール3句、伊丹一句の日3句となりました。
結果が順次、わかるので、
果たして、自分の良いと思った句、もしくは適当に?作った句が、
どのレベルなのか、探りたいと思います。
それと、伊丹公論という伊丹市の広報紙?が短歌・俳句を募集していたのを思い出して、
そこにも、追加で、短歌1首、俳句1句を応募しました。
次は、この柿衛文庫の主催する《鬼貫顕彰賞》へ4月中に応募してみる予定です。
今のところ、短詩定型文学の中で、
ずっと季語の勉強をしてたり、朝の「通勤時の吟行」のお陰で、
俳句が、他の短歌、川柳に比べて、一歩か二歩リードしている感じでしょうか。
作りやすいんですよね。
もちろん、作りやすいからいい句ができるとは限らないのは、詩で経験済みなんですが、
この作りやすさは、反面、怖いなあ、と思います。
自分ではちゃんとしたのが出来ているつもりになってしまうので。
ただ、俳句を作り始めて、日々の季節の変化や、些細な日常が記憶に残りやすくなりました。
これは、どの俳人の方も俳句作りの過程で常々、おっしゃっていることですね。
今までも、俳句や短歌関係の本は折に触れて、それこそ何十年も読んではきたんですが、
こうして、作り出すまでは、どこか他人事でした。
でも、こうして景色が匂いや音といった五感ともに記録できることは、一瞬を何倍、何十倍にも広げることなんだな、と感じています。
詩では、空間感覚の広がりを経験して、俳句で時間感覚の広がりを経験できたってことでしょうか。