数日前に、入賞していた「小泉八雲顕彰文芸作品コンクール」の作品集と賞状、記念品が送られてきました。
ペン以外に図書カード1.000円も予想外に入っていて、びっくりでした。
選者の講評をありがたく頂戴して、かつ、最優秀作品の感想文を読ませて頂きました。
なるほど、生き生きとした大学生らしい素敵な作品です。
一般の部で、僕一人、短編小説もどき詩作品なので、明らかに浮いています。笑。
本当はレポート大好きなんで、
八雲について論文風の感想文を書く方が楽なんです。
今年は、どうしようか、と少し迷います。
このコンクールは、静岡県焼津市主催なんですが、
島根県出雲市主催の小泉八雲記念館の「小泉八雲をよむコンクール」の方は、感想文と詩なんですよ。
八雲ファンの僕としては、そちらに感想文の方を送りたいです。
他の賞と違って、どちらのコンクールも最優秀賞、取るまで送り続けようと思っております。
ところで、表題の睨めっこですが、
講談社児童文学新人賞向け原稿と、睨めっこを、しつつ、相変わらずの微速前進だった日曜日までのことです。
ここまで書けない、書きたいのに書けない状態が続くとなると、
ほんと才能がないんだ、と大嫌いな才能主義の旗を挙げざるを得ません。
自分に才能がないんだな、と。
詩や短詩定型文学、レポートの方なら、よっぽどスラスラ書けますからね。
でも、向いてないからこそ身につけるべき分野であり、乗り越えるべき壁なんだと思っております。
ただ苦しいです。
出来ない自分と対峙するのは。
俳句のもつシーンを切り取る叙景性、
短歌の持つ気持ちを歌う叙情性、
川柳のもつ社会や人を見つめつつ視点、
現代詩のもつ日常を非日常に転換する面白さ、
僕にとっては、それらすべてを利用できるのが小説という構造体なんですよね。
でも、現状、何か足らなくて、
プロとして挑むには自分なりの接点が欠けている。
それは挑戦し続けることでしか手に入らない。
3年前、あるとき、神さまから(?)プレゼントされた詩を書く方法も、
きっかけ自体の『渡辺玄英詩集」や山下澄人さんの小説だけど、
その前に、幾度も挫折があったんです。
古くは26歳の頃の詩教室での嫌味、
そして、11年前の別の詩教室の作品を一度も書けないままの挫折と、
色々な紆余曲折があってのことですからね。
また、今、当たり前のように作れる俳句や川柳だって、つい4か月前までは、どう書いたらいいか五里霧中だったんですからね。
いつか来る成功の瞬間を夢見て、頑張るしかない。
その感触はまるでないので、とほほ状況だったのですが。