ちなみに、H氏賞というのは、詩における直木賞みたいな扱いで、
それを受賞するということは、プロ中のプロ詩人と認められたことになります。
( 詩における優れた新人に与えられる芥川賞に相当するのが、中原中也賞です。
よく勘違いされますが、芥川賞と直木賞はジャンルが純文学とエンタメと違うのはもちろん、
新人とプロという与えられる対象も違います。
どっちが上とかではなくて。)
昨日、書いた高階杞一さんもH氏賞は受賞されておられますから。
高階さんの詩にも、その傾向はありましたが、
髙木さんの詩はシンプルな呟きにも似た、単語を数語、並べただけで、
独特の世界観を生み出します。
どれもこれも、日常の言葉なんですがね。
その作品世界は、解説の井坂洋子さんの声を借りれば、究極の「自分探し」でしょうか。
多くの詩で、
もう一人の自分との出会いを語り、
それは必然的に、哲学的な響きを持つことになり、
かといって、中也や太宰のような甘ったれた?ナルシズム的な自己陶酔とは、無縁で、
乾いた筆致で、独特の雰囲気があります。
どうやら、僕は表現しよう、表現しようと焦りすぎて、
足元を見てなかったな、と、
自分の詩の作り方の問題点が見えました。
シンプルな言葉による詩作という点では、
まど・みちおさんにも通じます。
童謡柳波賞関係で、高階さんの詩集、そこから髙木さんと、
繋がってくると、偶然とは思えない絶妙な配置です。
多くの詩人の中からこの人選は、シンクロニシティかな、と感じました。
では、
このアドバイス?をありがたく頂戴して、また一段、上へ登らせてもらいます。
きっと、この最小の言葉遣いで、まるで中世の文学理念、余情幽玄的な「秘すれば華」の表現感覚は、
純文学の小説作品を書くときに、大いに役立つでしょうね。