どんどん、詩について考えてしまう | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

考えてみれば、不思議なこと。
僕が詩が書けるようになったのは、2年半前の2016年12月末のこと。

そして、小説の方へ全力投球していたから、
一時、義務的に教室提出のために書いていた時期があった。
継続的に書き始めたのは、半年前になってから。

今じゃ、小説とは別のルートが僕の中にしっかり出来ている。

意外にも、詩は、普段の生活の中に、
タネがゴロゴロと転がっている。
生きている生活シーンの断面を、文字通り切り取って来る。
その、意味では、私小説的。

きっと、一瞬の時間表現を含んでいるからこそ、出来る芸当。

けど、小説は、違う。
今のところ、僕とは別人格を作って、
始めなければいけない。

詩でも、女性仮託や、子ども仮託できるけど、
その仮面は一瞬でいいからね。
小説の場合、すっぽり全身で「演じ切る」必要がある。
舞台も見えないところまで、作り込み演出しないといけないし。

その意味では、詩は一瞬のダンスとよく言われることに対して、
散文は歩行だという定番見解に対して、
小説はトラッキングを含んだ登山道縦走だ、と僕は提言したい。
全然、走法が違うんだ。

取り敢えず、
童謡を一篇、詩を二篇、
作らないといけない。