東大出の人と文学談義 | 読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

読書と、現代詩・小説創作、猫を愛する人たちへ送る。(32分の1の毎日の努力を綴る)

文学創作と大学通信等を書いています。【やりたい夢(小説家)がある1/2→夢を叶える努力をする1/4→完成作を応募(挑戦)する1/8→落選する1/16→落選しても諦めず・また努力・挑戦する1/32】(=日々、この1/32の努力を綴るブログです。笑)

昨日は職場の歓送迎会で飲み会でした。
たまたま席が隣だった東大出の方と文学談義になりました。

うーん、酔ってるせいもあって昨今の文学現状を上手く伝えれなくて、
困りました。

小説を書くには、知・情・意、すべて要るんですよ。
知だけでは書けない。
一般に「情」こと人情、普通の人の気持ちへのアプローチと、馬鹿になってやる意思である「意」が必要なんですよって、
うん、上手く言えませんでしたね。

最速、最短で正解を探す力とは、おそらく真逆の鈍臭さが要る気がしています。

馬鹿になって、無駄かも知れない努力をコツコツと生真面目にやること。
それって、簡単なようで難しいですよね。

僕はバドミントンや空手で、そういった無駄な努力、徒労に思える努力と辛抱強く付き合ってきましたから。

頭でっかちの計算高い人にはできない作業ですかね。
一番こわいのは、才能がある天才で地道な努力を惜しまない人、ですね。

その人は、村上春樹なんて、エンタメでノーベル賞は絶対取れない、と仰っておいででした。
僕は、村上春樹には同じ神戸出身であるシンパシーと、
同世代ではないけれど、呑み込まれる怖さがあるので、近づきませんが、
アンチではありません。

芥川も漱石も、当時のエンタメ系の要素をもっており、( 物語文学の伝統、と言い換えられましょうか。)
その上にプラスされる人間や社会への深い洞察が、つまり文学性が付与されていると考えています。
村上春樹も、前者と後者の混在なんですよね。

ところで、
帰りは虎キチ甲子園球場の阪神戦の、おかけで、電車が遅延。
20分余計にバス停で待ちました。
おいおい、こらっ!