小説の話です。
結局は、純文学系におけるリアリズムってのは、「自宅へむかっている」とか「披露宴の進行」とか、ごく日常的なありふれた設定が支えているんじゃないかな。
その平凡なリアリズムの中で、
奇異な人物や独白、オリジナルな描写こそが、
逆に支えられているのじゃないかな。
僕はそこを読み間違ってた。
何でもかんでも、オリジナリティを発揮しなければって誤解してた。
文体の煌びやかさ、華やかさに囚われ、
幻惑されてしまっていた気がする。
これって、根本的なミスだよね。
根源的なミスリードなような気がする。
やはり、小説を書くことを特別視して、
どこかで神から与えられた天分による書くものだ、なんて、「神話化」してたんだな。
特に純文学系に対して。
自分が若い頃から本が好きで仕方なかったから、無理もないけど。
事実、現状、こんなに小説を書くことが大変だと余計にそう思ってしまうのは無理もないよね。
小説の書き方だ! の文章読本的なものは、昔こらたくさんあるけど、
どれも決定的なものはなくて、
結局は、人それぞれだし。
バドミントン、やってると、
ほんと人それぞれの巧さや理論があって、
ときに相反する考え方もあったりするんだよね。
日々、そう実感してる。
これって、絵を描くときも感じてたし。
だからこそ、
自分なりに感触を得てやるしかない。