ここに、あまりにもマニアックすぎることは書けないから、
適当に薄めて、一部を紹介する。
読みづらくて、申し訳ない。
例えば、
①「二本のレールは太陽の光を鈍く反射させながら、重なりあうように緑の中に消えていた。どこまでいったところで、きっと同じような風景が永遠に続いているのだろう。そう考えるとうんざりした。これなら地下鉄の方がずっとマシだ。」
これは観察結果による描写。
そこから予測、予測への感想( 大体、うんざりしたり、やれやれと思ったり、諦念的。)、さらに、「地下鉄」という具体的イメージでの、もう一段階の連想比較、アナロジー感覚か。
②次に、双子の寓話。
その前半に、異和感に関するエッセイ的な短文がある。そこでのパズルに言及する文からの連想からか、後半に双子のエピソードが語られる。
その後半の双子に関する寓話は、エッセイ文からエピソード段落への飛びがいきなり過ぎて、読み手は意外性に圧倒されてしまう。
主人公の双子の女の子の発見効果と、読み手の唐突な理解とがリンクしながから、何だ?と読み手は思う。
これって、エピソードの始まり効果を繰り返せるメリットがある。
章の冒頭の、異和感の語りが前まとめとして、主題的なものになっているが、語り手の語りがいきなり主人公の僕へ移行するから、ジェットコースターみたいだ。
断片を繋げる意図というより、異時間・異世界が連続しているようだ。
おそらくは、パズルと双子の連想から着想して、
その双子と主人公が寝た「状況」から始めるから読み手は何だ? と読ませるのか?。
いつもストーリーではなく、「状況」から始めてるから、上手く繋がるのか。
作家は書き出せば、自然とまとめようとするからね。