「小説トリッパー 2018年春号」から第4回林芙美子文学賞受賞作の、小暮夕紀子さん「タイガー理髪店心中」を読んだ。
とても、面白かった。
作者にとてつもなく優れた才気を感じた。
また、昨日書いたブログで触れた【世界・場所】から考えると、よくわかる小説だな、とも思った。
前回の林芙美子文学賞も、ついこの間、読んだはずだけど、なぜか全然記憶にない。
今回の作品は選評で、選考委員の一人、角田光代さんが言っているように、
「たくさんのものが仕掛けてあって、のどかな語り口とは裏腹に、じつにおそろしい小説である。理髪店を営む、寅雄という八十過ぎの老人ののどかな悪意、善意にも見える無関心(略)寅雄のありように嫌悪を覚えながらも、寅雄の心情が痛いほどわかる。それでいて、小説としてこの老人にあからさまな仕返しをしない、そんなふうにカタルシスをもってこない作者の品の良さを感じる。」
この「たくさんの仕掛け」は言い得て妙である。
角田光代さんの講演会を聞いたことがあって、
そのとき、千本ノックならね百本の短編だかを書いてやることを若いときに自らに課した、という趣旨のエピソードを、
僕は記憶している。
角田光代さんらしい、コメントだった。
別の選考委員の井上荒野さんは、以下のように。
「話としては「よくある話」なのだか、さほど退屈せずに読める。それはこの夫婦が、「よくいる老夫婦」「一般的な老夫婦というもの」ではなく、「寅雄」と「寧子」という唯一無二の人間しとして、丁寧に造形されているためだろう。だから情景描写のひとつひとつ、過去の回想のひとつひとつも、その瞬間にそこにしかないものとして読み手の前にあらわれる。(略)少年時代にいじめたサムイチのエピソードなとは、やや「老人ちょっといい話」に流れていて不満がある。とはいえ、小説を読んだというたしかな印象を持ち得たのは本作のみであり、受賞には賛成した。」
偶然だけど、井上荒野さんも去年、講演会を拝聴している。
この「よくある話」にしないことへのこだわりは、あまり前のように見えて、
純文学系の小説を書くには、とても大事なことだと思う。
ファンタジーとかなら、ある意味当たり前なのだけれど、
純文学系の小説では難しい。
最後は、川上未映子さん。
「舞台設定、人物造形、小道具や、風景描写のひとつひとつ_この小説を構成する複数の要素が的確に配置され、機能し、物語に資している。深刻さと滑稽さを束ねる文体もよく練られている。いわゆる「壊れてゆく老女」や「昭和の爺さん」にあたって紋切り型の幻想や書きぶりが作者になく、この物語設定だからこそ立ちあがってくる人物や関係が、生き生きと書けている。 (略)本来ならメインにもなるだろう息子にまつわる出来事を慎重に扱い、終盤の、妻のただ一言においてこの物語、この夫婦の本性を発揮させる手腕は見事である。」
川上未映子さんも、二度ほど講演会を拝聴したことがある。
女優でもあって、ほんとお綺麗な方で、圧倒的に優れた詩人でもある訳で、天は三物を与えたと思う。
お三人は、言葉は違うけど、同じ現象をそれぞれの見方からコメントされており、
自分が「よくある話」をまだまだ書いていることが、とてもよく実感できた。
まだストーリー展開を書いているのであって、
人間を書けていないことも。
この進むべき方向性をしっかりと認識した上で書かないとね。
林芙美子文学賞は北九州市が主催する地方文学賞になる。
一応、今回のように季刊雑誌である「小説トリッパー」に掲載されるけれど。
中央の五大文芸誌ではないから、芥川賞には推されないだろうな。
もったいない。
原稿用紙70-120枚。
〆切、9/14(金)、40字×30行。
前は女性限定の条件がついていて、今まで、女性しか入選していない。
今回も佳作も女性。
選考委員も女流作家ばかり。
第5回に応募したくなるけど、
五大文芸誌が先かな。