若かったら、こんな旅をしてみたいと思う。
WWOOFだ。

 

 

旅先で働き、暮らしに混ざり、観光客ではない時間を過ごす旅のスタイルである。

以前の私は、土に触れ、食べ物を誰かと作りながら、

一時的にコミュニティのメンバーとして過ごす旅のスタイルに少し惹かれていた。

 

 

日々の暮らしは、働いてお金を稼ぎ、稼いだお金で食べ物を買って生活をする。

都会ではごく当たり前のことだけれど、

時間やモノとお金の交換によって成り立つ生活が息苦しく感じることがある。

かといって、田舎暮らしをして農業で生計を立てたいわけでもなかった。

 

 

キャリアカウンセリングの仕事に転身して間もないころ、

半農半xという考え方に出会い、同時にWWOOFにも出会った。

実際は体験していないけれど、出会ったことで、

生き方、旅の仕方は、様々なバリエーションがあるなと思った。

 

 

WWOOFに惹かれていた頃の私は、日常とは違うリズムの中に身を置きたかったのだと思う。

今はもう、その方法が少し変わっただけで、

日常から一度外に出たいという感覚は変わらずにある。

 

 

今年も、知らない国へ出かけて、

その国で暮らす人々の暮らしに触れてみたいな地球

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

義母は95歳。昨年骨折し入院・手術を終え、現在は施設で車いす生活を送っている。

 

 

 

 

施設から病院に行く際、夫が付き添っているが、病院までは車いすタクシーを使わなければならない。

自家用車には乗れず、車いすからタクシーの後部座席に移動するにも介助が必要だ。

私は同席していないので、夫経由で状況を聞いている。

 

 

義母の口癖は、「困ったね、どうしよう…」である。

結婚した当初から、ずっとそうだった。 

たまに施設を訪れると、認知症が進み、日々の出来事を忘れてしまうため、あの口癖は今は出てこない。 

 

 

私も夫も幼少期は三世代で暮らしていた。 

当時は三、四世代同居も珍しくなく、むしろ一般的だったと思う。 

多世代同居では、日常の中に死も生も身近にあり、言葉にせずとも価値観や生き方が身についていったと思う。

 

 

昭和初期生まれの義母の「困ったね、どうしよう…」も、ただの無気力ではないのだろう。

義母の言葉は、いつも主語が自分ではなく、自分の輪郭をくっきりさせず、周りに合わせて生きてきたことの表れのひとつに見える。

 

 

2040年には75歳以上の高齢者が増え、介護を必要とする人も増加する一方、担い手は減少すると予測されている。

誰かが面倒を見てくれるとは限らない現実を、数字が示している。

 

 

私は、そんな変化に適応するために、体力や筋力を維持し、人との関わりを絶やさず、好奇心を枯らさない活動を続けることが大切だと思っている。

子どもがいてもいなくても、配偶者がいてもいなくても、最後は一人で生きることを想定して、自分の生き方を考える。

もちろん、体力や財源が足りなくなる不安はある。

けれど、それも含めて受け入れ、工夫して人生設計するのだ。

 

 

さらに強く思うのは、意思表示ができるうちに、どんなふうに生きたいか、どんな最期を迎えたいかを身近な人と共有することだ。

最近ではACP(アドバンス・ケア・プランニング/人生会議)とも呼ばれる。

 

 

私の親も義両親も、自分の意思を言葉にすることなく、「子どもが何とかしてくれるだろう」と考えていた。

それもまた、その時代の感覚なのだろう。

 

 

義母の生き方や言葉から、学ぶことは多いなと思う。

日々の散歩やヨガ、読書、旅の時間を大切にし、変化していく環境に少しでも安心して向き合えるよう、小さなことを習慣化することは、義母から気づきを得て、私のライフデザインの源になっているのだ。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

今日は節分。

 

 

本来の意味は「季節を分ける」ことであり、立春の前日に邪気を払い、一年の無病息災を願う日だ。
豆まきで鬼を追い払い、福を招き入れることを願うといわれている。

 

 

この日を安心して迎えるために、

いらないモノを手放してきた。
気づいたこだわりを、少しずつほどいてきた。
今年やりたい100リストを書いた。

 

 

今日を節目に、さらにいいことが巡ってきたらいいな、と思っているスター
というより、もう巡り始めているのかもしれない。

 

 

実際、来月には、願っていた旅がひとつ動き出す。
行き先も日程も確定していて、あとはオーロラに出会えるかどうかは神頼みである。

 

 

節分は、季節を分ける日である。
内側を整えたあとに、外へ向かうための境目なのだ。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。