新年のご挨拶をしに、施設に入居している義母を訪問した。

 

 

腕を骨折し手術を受け、退院直後は車いす生活だったが、手押し車を押して歩けるまで回復している。

とはいえ、足腰は以前よりも不安定で、記憶もあいまいで何度も同じことを繰り返すし、話は支離滅裂だもやもや

 

 

 

 

訪問する度に、年老いていく義母を見て、夫はどのように話をしたらいいのか戸惑っている様子。

自分の親がだんだん老いていく現実を、受け止めきれないのかもしれない。

義母は私にとって、夫ほど近い存在ではなく、どこかクールな目で見ている。

 

 

幸い一昨年前に認知症サポーターの講座を受け、どのように接すればいいのか知識を得たこともあり、義母の変化を興味深く見ている。

 

 

 
 
老い方は人それぞれで、避けられない時間の流れの中にある。
心も体も頭も元気で、やりたいことができる時間がどれくらい残されているのかは、誰にもわからない。
 

義母の姿を前にして、私はその事実を少し距離のある場所から見ている自分に気づいたスター
永遠ではないからこそ、やりたいこと、行きたい場所、伝えたい言葉を先延ばしにせず、今年も自分の時間を自分で選び取っていきたいと思う。
 
 
本日もお読みいただきありがとうございました。
 
 
 

 

今朝も普段通り、朝の散歩からスタートした。

まだまだお正月気分でいていいところだけれど、

体は通常モードに戻したい気持ちになっている。

これも悪くはないのだろうニコニコ

 

 

子どもの頃のお正月と言えば、ウールの着物を母に着付けしてもらい、元朝参りからスタートしていた。

元旦の午後から、近くに住む親戚が、代わる代わる新年のあいさつに来ていた。

一緒におせちを食べたり、お年玉をもらったり、お正月番組を見たり、ゲームをしたりと、

人が集まり一緒に過ごすことが実家でのお正月の恒例であった。

正月とは、そういう「人の気配」に包まれる時間だった。

 

 

今は、と言えば、義実家宅があったときは帰省していたが、自宅で家族だけで過ごすことが多い。

おせち料理も数品夫が作ってくれるけれど、2日以降は、通常の食事へ少しずつ切り替わっている。

今はお正月モードが短くなっているのが心地いい。

 

 

明日と明後日は、年末から始まった、ミリオネアマインド英文読解の後半戦。

毎回8ぺージの読解なので、そろそろ予習をはじめなければ。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

1月1日。
2026年のはじまりである。

 

 

今朝はいつも通り、朝散歩をした。
新年だからといって、何かを変える必要は感じなかった。

 

 

おせちは、数年前までは夫の実家でいただいていた。
そのイベントがなくなってからは、夫担当である。

 

 

今年は何をしたいのか。
お正月のあいだにイメージを膨らませつつ、
一歩ずつ進んでいきたい。

 

 

本年も、よろしくお願いします。