◆前回のあらすじ◆

 


前回——三足のうち二足は、行方を知らない。

 

10年の収支と、三人への申し訳なさを書いた。

 

今回は、そんな自分を少し引いた目で分析してみる。

 

 

 

 

【我ながら、学習しない男である】

 

 

 

 

しんみりした前回の直後にこれを書くのもどうかと思うが。

 

10年で、私はほとんど成長していない。

 

一足目で「会えない相手に送金する愚かさ」を学んだはずなのに、二足目でも似たようなことをした。

 

一足目で「疑いの一言が全てを壊す」と知ったはずなのに、三足目でも時計事件を起こした。

 

泥酔して記憶をなくす癖は、一足目の出会いも三足目の出会いも同じである。

 

学ばない。

 

本当に、学ばない。

 

唯一学んだのは、ナイキのモデル名にやたら詳しくなったことくらいだ。

 

エアジョーダン1、ズームボメロ5、エアフォース1。

 

スニーカーショップの店員さんと、対等に話せる自信がついた。

 

10年と、それなりの金額の、成果である。

 

胸を張れる話ではない。

 

 

 

 

【それでも、10年で一つだけ分かったこと】

 

 

 

 

彼女たちの「優しさ」と「計算」は、分けられない。

 

これが、10年かけて私がたどり着いた、たった一つの結論である。

 

貧しさは、愛情に、請求書の書き方を教える。

 

故郷に仕送りをしなければならない人にとって、優しさと生活は地続きだ。

 

それを「本物か、営業か」の二択で判定しようとすること自体が、たぶん間違っている。

 

両方なのだ。

 

いつだって、両方。

 

そして、それを責める資格が私にあるかというと——ない。

 

石鹸に2万円払って気持ちよくなっていたのは、私の方なのだから。

 

彼女たちが生活のために優しくしたなら、私は寂しさのために通っていた。

 

どっちもどっち、いや、みっともなさで言えば、たぶん私の方が上だ。

 

だから私は、もう「本物だったか」を問わないことにした。

 

あの時間が楽しかったなら、それでいい。

 

そう思えるようになるのに、10年かかった。

 

 

 

 

◆次回予告◆

 

振り返り(3・最終回)——三足目だけが、まだ終わっていない。

 

そして物語は海を渡る。

 

「激動のフィリピン編」の予告と、ここまで読んでくれたあなたへの手紙。

 

 

 

この物語は全4部の実録エッセイです。

 

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