◆前回のあらすじ◆
前回——高速90分を毎週往復する男になった。財布が軽くなると、男は無口になる。
【ニンジャ】
9月。
Zの誕生日が近いというので、昼にステーキを食べに行った。
同伴ではない。
いわゆる「ニンジャ」というやつだ。
解説しよう。
同伴は店公認のデートで、店に料金が落ちる仕組みになっている。
対してニンジャは、店に隠れてこっそり会う非公認デート。
忍者のように、である。
発覚すればタレントが叱られるし、ペナルティを食らうこともある。
つまりZは、私と昼メシを食うために、小さくないリスクを取っていた。
言っておくが、これは「俺は特別な客だった」という自慢では、たぶん、ない。
ないのだが、当時の私がそう思っていなかったかと問われると、目が泳ぐ。
彼女たちの外出が許されるのは、昼の12時から夕方4時ごろまで。
寮があり、門限があり、店の目がある。
管理された生活の、たった4時間の隙間。
恋をするには、ずいぶん狭い隙間だった。
ステーキを焼く鉄板の向こうで、Zはよく食べ、よく笑った。
店の照明の下ではなく、昼の光の下で見る顔は少し幼く見えた。
何を話したかは、実はあまり覚えていない。
ただ、楽しかったという感触だけが残っている。
記憶とはそういうものらしい。
その日、私はZに誕生日プレゼントを渡した。
ナイキのエアジョーダンI、通称「パンダ」。
白と黒の、あれである。
私が選んだのではない。
Zが「欲しい」と言ったのだ。
誕生日、何が欲しい? と聞いた私に、彼女は迷いなく答えた。
パンダ。
スニーカーに詳しくない私は、それが何なのかを検索するところから始めた。
箱を開けたZは歓声を上げて、その場で履いた。
昼の駐車場で、真新しいパンダが跳ねていた。
これが、一足目のナイキである。
プロローグに書いた「一足目は激情に」の、これが中身だ。
欲しいと言われて、疑いもせず買った靴。
あの迷いのなさを、当時の私は可愛いとしか思わなかった。
※実物はこれです。
そして帰り際、車のそばで——Zの方から、キスをしてくれた。
不意打ちだった。
営業でするなら店の中でする。
ここは店の外で、誰も見ていなくて、料金も発生していない。
だからこれは本物だ。
——と、当時の私は解釈した。
この解釈の答え合わせは、ずっと後になる。
それ以来、帰り際のキスが私たちの定番になった。
店の外、他の客から見えない一歩の隙間で。
私はその一歩を、世界で自分だけに許された場所だと思っていた。
◆次回予告◆
第4話「ドレスと、MISIAと、明るい高速道路」——Zの十八番は「逢いたくていま」。もう会えない人に歌う歌を、毎週会いに来る男に歌う理由。そして、サヨナラ。
この物語は全4部の実録エッセイです。
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