「落ちこぼれ」とはなんであろう?
これは優等生との対比によってしかその存在を証明できない。
偏差値30代は落ちこぼれ
偏差値70代は優秀
世間一般でよくいわれる言葉である。
少し進めて、過激な発想をしてみる。
偏差値70未満の人間を全員抹殺したら落ちこぼれはなくなるのか?
答えは否である。
偏差値70代の人間が1万人残ったとしよう。
その1万人の中で、新たに偏差値70から30まで区分けされるだけである。
偏差値78の人間はそのまま偏差値70代へ
偏差値70の人間は偏差値30代へ
(覚えている知識は変化がないという前提で)
優秀の概念の存在は落ちこぼれの概念の存在との対比によってしか証明できないからである。
皮肉な話しだが、人間社会に優秀な人間を欲する文化がある限り、落ちこぼれは0にならないのである。
さらに話しを進めてみる。
ウソつきとはなんであろう。
この世界からウソつきが消滅すると、正直者の存在が証明できなくなり、正直者が同時に消滅してしまう。
社会が正直者を欲する限り、ウソつきはなくならない。
異常とはなんであろう。
この世界から異常な人間が消滅すると、正常な人間の存在が証明できなくなり、正常な人間が同時に消滅してしまう。
社会が正常な人間を欲する限り、異常な人間はなくならない。
この世界に絶対者は存在せず、
あらゆるものの存在は対比することによってしか証明することができないのである。
身長が175㎝だったといわれるヒトラー。
当時ドイツ人の平均身長は170㎝であった。
高身長の最高幹部たちと「比較」されることによって小柄なイメージが定着したのであろう。
