公務所を出たリークは、真っ直ぐ高台にある屋敷に向かった。
トーシアンの領主、アプリコット家。
かつて、まだトーシアンが王政を敷いていた頃の城の跡だと、以前聞いたことがあった。
その旧跡に惹かれたリークの父親、カイトと、古美術に興味があったアプリコット家の当主、アーヴィンとが意気投合し、貴族と平民という身分の差がありながら、リーク達親子に離れを借してくれていた恩人だ。
――やっぱり、景色が違って見えるな…。
旅に出たのは、いくつの頃だったか。かつては歩き慣れたはずの坂道も、今は別の道のように感じられる。以前ここを通ったのが冬だったからか、余計にそう感じるのかも知れない。
――でも、この木々のアーケードは変わらないな。今は、夏だから、離れのバルコニーから夕暮れのガレンシア湖が綺麗に見えるだろうし、それも楽しみの一つだけど。
そこまで考えて、リークはある少女の顔を思い出した。仲の良かった彼女のこと。
――セリカ、元気かな? アプリコット夫妻も、相変わらずなんだろうか。
期待半分、不安半分で、リークは坂道を登っていく。歩いて行く度、その気持ちはどちらも強くなって、いつの間にか、昇る速度は駆け足に。
「はぁ…」
何とか、坂を登り切った先には、見慣れた景色が広がっていた。
立派で、それでいて物静かなたたずまい。白い壁に映える青の屋根。レンガ造りの門も昔のままだ。
一応、トーシアンの領主で、貴族ということもあって、かつては門兵が立っていたが、街の人が訪れやすいようにと、開放されている。その立場を忘れさせる、気さくな家族だった。
――あれ…?
一つ一つ思い出を確かめながら歩いていると、不意に気になる場所を見つけ、リークは足を止めた。そこは、アプリコット夫人が大切にしていた花壇で、毎日丁寧に世話をしていた場所だ。
――ッ…!
唐突に湧きあがる、不安。
一年近く滞在していたが、どんな日でも、美しかった花壇が、今は少し荒れている。ただ、それだけなのに。
思うより早く、リークは玄関に向かって走り出していた。
旅に出ていた時間。それは、リークにとっては早すぎる程の目まぐるしい時間だったが、離れている時間としては長過ぎた。
――僕の取り越し苦労なら良いけど…。
無意識のうちに、胸元を掴み、走る。
と、どこからか、歌が聞こえてきた気がして、リークは唐突に足を止めた。声に、聞き覚えがある。その歌声を頼りに、彼は邪魔しないようにゆっくり歩いた。
――あ…。
一瞬で、目を奪われる。
その人物は、玄関近くのベンチに座り、小鳥と戯れていた。さらさらの金髪を淡いリボンで横髪だけまとめ、明るい碧瞳を細めて楽しそうに歌っている。良く知っているはずの人物なのに、声を掛けられなかったのは、彼女が、ますます女の子らしく、可愛くなっていたから。
そうこうしているうちに、彼女がこちらに気付いて歌うのをやめた。そして、柔らかく微笑んでみせる。
「お帰りなさい、リーク」
「え、あ、ただいま、セリカ…」
まるで、月日の流れを感じさせない言葉に、内心どきどきしながらも、出来る限り平静を装って答える。
夫妻の一人娘、セリカ=アプリコット。飾らない家族の中でも、年が近いからと、よく遊んでいた。
――この笑顔、変わらないな…。
まるで、自分の家に還ってきたような安心感を与えてくれる、優しい笑顔。
「どうしたの? 私、変なこと言った?」
思わず黙ってしまったままのリークに、セリカが優しく微笑んで問う。それで、ようやく、リークは花壇のことを思い出し、聞いた。
「あ、おばさんの花、元気がなかったみたいだけど、何かあった?」
「……」
「セリカ…?」
口ごもる彼女の様子に違和感を覚えて呼びかけてみると、セリカの瞳に、涙が浮かぶ。
「やっぱり、リークにはわかっちゃうのね。あたしが育てたんじゃ、ダメなのかな? あのピンク色の花、大すきだから、頑張ってたのに」
「それって、どういう…?」
皆まで言い切るよりも早く、セリカがリークに縋るように抱きついてきた。次第に、彼女の肩が震え、嗚咽が漏れ始める。
「……」
それだけで、何となく事態を察したリークには、かけるべき言葉が見つけられず、そっと、セリカの肩に手を置いた。
どれだけの間そうしていただろう。ようやく落ち着きを取り戻したセリカが、ゆっくりと真相を語ってくれた。
「ひと月前、お父様のコレクションを狙ったらしい夜盗に襲われたの。私は、お父様に守られて、地下室に逃げ込めたけれど、お父様とお母様は、夜盗に…。後片付けは、街の人が皆でやって下さったわ」
「……」
「…お父様もお母様も、貴方が帰ってくるのを楽しみにしていらしたのに。パーティーを開いて、驚かせよう、って」
涙が止まらないままに話してくれたセリカの言葉に、息が詰まりそうになる。
もし、自分がもっと早く帰ってきていれば、と思うと、悔やまれて仕方がない。そして、それを言ったところで、彼女の救いにはならないことも、わかっていたが…。
リークが何も言えずにいると、セリカが涙を拭い、少し赤くなった瞳のまま、微笑んだ。
「だから、お父様達の分も、私が歓迎会をするわ。暫くはトーシアンにいるんでしょ?」
「うん。職業免許をもらうまでは、絶対にいるよ。でも、湖の遺跡を調べたいから、一週間くらいの予定だけど…」
「ほんと?!」
何気なく答えると、セリカは本当に嬉しそうに笑う。独りが心細かったのか、夜盗の恐怖があるのか、何にせよ、女の子一人でこの屋敷にいるのは心許ない。
「ここにいるのも何だし、中に入りましょ、リーク。向こうの離れに行く、なんて、言ったらダメよ?」
「うん、わかったよ」
可愛らしい笑顔を見せるセリカに笑ってみせ、リークは導かれるままに本邸に入る。