一歩足を踏み入れただけで、改めて凄いと思わされる。入ったことがないわけではなかったが、思わず感嘆した。
柱の一本一本の細かい装飾や、品の良い備え付けの台座。その上には、アプリコット氏が趣味で集めたアンティークが並んでいる。やはり貴族なのだ、と、思い知らされた。
「ほんと、凄いな…」
「そう? 私には価値がわからないから。見せていただいた絵も、落書きじゃないの、って思うのもあったし」
「あ、あはは…」
それは、百年前に流行した技法なんだ、と言いかけたが、やめた。確かに、興味のない人間にとっては、狂ったデッサンに見えるのかもしれない。
――けど、あれがなかったら、僕が絵に興味を持つことはなかっただろうな…。
ふと思い出し、懐かしむ。子供相手に、熱心に語るアプリコット氏は、当時のリークに多大な影響を与えた。
「リーク?」
思わず立ち止まって考えていたらしく、セリカに覗き込むようにして聞かれる。だが、リークはかぶりを振って、何でもないと笑ってみせた。
「それより、セリカ、料理できるの?」
「あっ、あたしのこと、何も出来ない子って思ってるでしょ? でも、料理くらいは出来るよ? 少なくとも、リークの好きなものは」
「え…?」
何気ない言葉だったが、リークは思わず顔を赤くする。好きなものを覚えてくれていたのも嬉しかったし、そんな風に言われるとまるで自分の為に料理を覚えてくれたようで。
そんな胸中を知ってか知らずか、セリカは楽しそうに笑う。
「今日は、リークの歓迎会だもん。張り切って作るから、リークは部屋で休んでて。貴方の部屋は、ここね」
言われ、礼を言ってから、彼は案内された部屋に入る。
見晴らし具合は、かつて借りていた離れの部屋より、良く湖が見える。しかも、そこは、セリカの部屋の隣というおまけ付きだった。
――何だかなぁ…。
だが、安全面を考えればこの方が良いに決まっているし、同じ部屋にいて、と、言われるよりはマシだろう。
――問題は、この後、か…。
荷物を置き、ベッドに横になって、胸中で独りごちる。
幻の都市と言われる、ルナ・サーガを探すこと。それが父の遺志であり、リークの夢でもある。そして、父と共にしてきたように、各地の遺跡巡りも続けたい。だからこそ、トレジャーハンターの資格を申請したのだ。
――けど、僕はセリカを置いて行けるのか?
独りにしたくない、というのが正直な気持ちでもある。だが、そうなると、旅をどうするのか、というのもあって。
「あーっ、もう、まさか、こんなことになってるなんて!!」
ベッドに顔を埋め、思わず声に出して呻く。だが、勿論答えてくれる者などいない。
――今考えてても埒が明かないな。
結局体を休めることも出来ずに、リークは部屋を出、セリカがいるであろうキッチンに向かった。
少し迷いながらもダイニングルームに辿り着くと、不意に、暖炉の上の肖像画に目がいった。そこに描かれているのは、当主のアーヴィン=アプリコットと、夫人、カトレシア。その間にセリカが座っていて、膝の上には銀色の毛の猫がいる。絵は最近のものらしく、セリカが今の歳に近かった。
――おじさん達も心配だろうな。あんなに大事に想っていたのに…。
そう思うと同時に思い出されたのは、自分の父のこと。唯一の家族だった父は、本当にリークを大切にしてくれていた。
――父さん…。
自分の家族をなくし、家族のように接してくれた恩人をも亡くした。その悲しみが、今になって湧きあがる。セリカの前では強がっていたが、本当は…。
「きゃあ!」
突然の声に、さっきまで考えていたことが吹き飛ぶ。
――まさか、また何かあったんじゃ…!
嫌な予感が頭をよぎって、リークは、目元を軽くこすってから、慌ててキッチンに駆け込んだ。
「セリカ、どうしたの?!」
言って、中に入ると、予想に反して、彼女は苦笑いしながらこちらを振り返った。
「ごめんなさい。ねずみに驚いちゃって。休んでて、って、言ったのに」
「ううん、君が無事なら、良いんだ」
笑ってみせると、リークは何となく周囲を見る。ここも多少荒らされたのか、それともセリカが不器用なのか、他の場所が整然としている割には荒れている方だ。食材も、ほとんど底を尽きかけている。
「ねぇ、セリカ。もし良かったら、夕食の買い物、して来ようか?」
「え…?」
言ってみれば、彼女は驚いたようにリークを見、すぐに首を振った。
「ダ、ダメよ! お客さんにそんなことさせられないわ!」
「客扱いしないでよ。家族みたいなもんなんだし。それに、図書館にも行きたいと思ってたしさ」
そう言って笑ってみせれば、一瞬、セリカの顔が曇る。
「家族みたい、か…」
「え…?」
思わず聞き返してみたが、セリカは、先刻までの表情を消して、笑顔を見せた。
「うぅん、何でもない。おいしいご飯作る準備して、リークの帰りを待ってるわ」
「じゃあ、あんまり期待しないで食材を見てくるよ」
「もぅ、リーク!」
わざと茶化して言うと、セリカは不服そうな顔を見せる。そんな彼女の様子に笑顔を見せると、リークは厨房を出て、屋敷の外へと向かった。
ドアを開けてみれば、少し前までは暖かかったはずの空気が、次第に夜のものへ近付いていることを思い知らされる。上着を取ってきた方が良かったかとも思ったが、面倒になり、結局、そのまま坂を下り始めた。
そこは、当然、先刻通った道。今は、木々のアーケードがない方が良いくらいの気候だ。だが、緑に囲まれるのは嫌ではない。嫌なのはむしろ、
「良い加減、僕のことをつけ回すの止めてくれない?」
坂からアプリコット家が見えないところまで来て、リークはようやく口を開いた。
気配だけは感じていたのだ。一度目は街に入ってから公務所に行くまでに、二度目は公務所を出た時。そして、今回は、屋敷を出た後からだ。
相手も気配を殺しているのだから、特別訓練を受けていない自分が、本来なら気付くはずもないのだが、それを帳消しにするほど、はっきりとわかる視線を感じれば、否応なく気付く。
だが、余程自信があるのか、それともシラを切り通すつもりか、相手が現れる気配はない。良い加減痺れを切らして、リークが腰の短刀に手を掛けた時、
「わかった。俺の負けだ」
言って、木陰から出てきた人物は、降参したと言うように、両手を上げていた。
髪も黒ければ、全身身にまとっているものも黒。ただ、唯一異質なのは仮面だ。道化がするそれに似たものであるため。表情は全く読めない。それが、徐々に不信感を募らせる。
「僕に何か用?」
一応、手はいつでも剣を引き出せる体勢になりながら、リーク。だが、相対する彼は、ただ鼻で笑ったような息を漏らしただけだった。
「お前に、聞きたいことがある」
淡々とした口調で、彼はリークに問われたことだけを答える。だが、みすみす、言う通りにしてやる気はない。
「その仮面、君のトレードマークだろ? それとも、犯罪者だから、素顔は見せられない、ってところかな? セイバー」
「俺も有名になったものだな」
リークの言葉に、セイバーと呼ばれた少年は、冗談めかしたように答える。特に、気にした風も見せずに。
「称号も持たずに、自分の欲しい最低限のものだけを盗みだす。遺跡を傷つけないし、被害もそれほど少なくないから、懸賞金をかけられるほどでもないみたいだけど、僕は君みたいな盗掘者が嫌いなんだよ」
「だが、俺のやっていることは、トレジャーハンターとほとんど変わらないと思うが? 称号を申請していなければ盗掘者と揶揄するのか?」
「あぁ。少なくとも、トレジャーハンターの称号を持つ人が、遺跡内のものを盗んだりはしない。それは、遺跡を傷つけているのとおんなじだ」
「なるほど。意外と、頭が固いようだな」
「ッ…!」
言われ、思わず怒鳴りそうになるのを、何とか抑える。
盗掘者を良く思っていないのは、何もトレジャーハンターだけではない。ほとんどの者が遺跡を荒らすから、学者連中からも嫌われる。ただ、セイバーを除いては。
「…で、その盗掘者が、僕に何を聞きたいっていうの?」
皮肉もストレートな言葉も通用しない。それを悟り、諦めたリークは、結局話を元に戻した。正直、セイバーの目的を知りたい、という気持ちも少なからずある。
そんな胸中を知ってか知らずか、おそらく表情も変えずに、セイバーはやはり淡々と言葉を口にした。
「一つは、トーシアンの街の成り立ちについて。二つ目は、湖の遺跡についてのこと。この二つは、歴史家としての観点だ。最後に、お前が暮らしていたアプリコット家のこと」
「何でそんなことを?」
「質問に答えるかは、お前の心掛け次第だな」
言われ、口ごもる。要するに、質問するならまず自分の問いに答えろ、ということだろう。ただし、セイバーが素直に答える保障はないが。
「目的もわからず、べらべら喋れると思う? 特に、アプリコット家のことなんて」
「…なるほどな」
リークの言葉に軽く頷いてみせると、セイバーは仮面の奥でため息を漏らした。さすがに、これにはリークもムッとくる。だが、彼が何か言う前に、セイバーが言葉を続けた。
「全てを知れば、後悔するのはお前だと言うのに…」
「え…?」
意外な言葉に、リークは思わず聞き返してしまう。だが、答える意思はないらしく、セイバーは身を翻した。
「それから、いらない心配は捨てるんだな。見失うと、あとには引けなくなる。
「な…ッ?!」
言い終わるが早いか、セイバーの姿が一瞬にして消え失せる。
後には、何事もなかったかのように、冷たい風に木々が揺れていた。
――今だって、後になんか引けるもんか。
はっきり言って。セイバーの忠告はもう手遅れだ。
父の遺志でもある、ルナ・サーガを探す。そして、資格が取れれば、ガレンシア湖の遺跡の中を調査できる。だが、セリカの笑顔が頭をちらつく度に、彼女を一人、トーシアンに残していくことが気がかりだ。そして、おそらく、セリカが望んでいることも、リークと同じで。
「……」
木々が、ざわめいているように揺れる。がさがさと、風が葉を揺らして音を立てていることが、今更ながら、鬱陶しく感じられ始めた。何より、トーシアンに帰ってきてから、彼女の寂しさは見てきたはずなのに。
結局、リークの中では答えが出ないまま、商業区へ向かった。

