🔸英語コミュニケーション講座の元受講生・Joshの海外体験談です🌍


③恐怖に包まれた道中


    実家の山口から東京に新幹線で向かう際、出発と同時にホームにいる母が手を振ってくれる中、この駅に帰ってくるのも、母親の顔を見るのも最後の気がした。正直生きて帰って来られる気がしなくてどうしようもなく怖かった。恐怖で涙が出てきそうになるのを必死にこらえた。

オーストラリアでの留学中、この旅のために友人との誘いを断ってバイトをした日もあったし、何より仲の良い友人には“世界を旅する”と公言してしまっているため引き返すわけにはいかなかった。自分で決めてことならやり遂げないと自分への信頼もなくなるし、それまでを積み上げてきた過去の自分に合わせる顔がない。他人にも話したことならなおさらで、だからこそ、逃げ出すにはいかなかった。


  オーストラリアにいる時、“I find it a bit too safe here, almost like being in Japan. I'm really looking for a more thrilling and adventurous life, even if it comes with a bit of danger. That's why I'm planning to travel abroad.” と何も知らなくくせに誇らしげに親友に話していた過去の自分に無性に腹が立った。

自分を励ますために、スマホに以下のメモを残していた。”この旅から生きて帰って来られたら自分に対する自信、生き抜く力、達成感、怖さから一歩を踏み出したことを自分自身に証明できてたくましくなっているかな。自分の成長には挑戦が必要で、挑戦するということはどうしようもなく怖い。この旅という挑戦は自分の命を賭けるという意味では生涯で一番大きな挑戦になるかもしれない。だからこそこれを終えた後に恐れるものは無くなるかな。自分の命を守るために危険予知、行動に責任を持つこと、徹底しよう。“ 


  東京の兄の家に一泊し、翌日10時ごろに空港に向かった。14:45発のフライトで37000円というびっくりするくらい安い航空券だったがきちんとした飛行機だった。3列あるうちの真ん中の列のさらに真ん中を示すEから始まる座席番号だったが、客数も少なく左右は誰もおらず横になることもできた。9時間のフライトで着いたら朝の7:00であるから搭乗してすぐにもう夜だと信じ込ませ、寝られるように気合で仕向けたが結局途中で起きてしまった。

飛行機の中で初めて到着してくれるなと思った。できるならばずっと飛行機の中に居続けたいと思った。それほどアメリカが怖かった。

さらにこれは経験したものにしかわからないが、留学やツアーの旅行と違い現地で自分の所属場所は一つもない。何も知らない初めての場所に誰も面倒を見てくれる人や知り合いがいない中、1人で乗り込むというのはなかなかの恐怖である。


アメリカ、特にLAの入国検査は厳しいと聞いており、そのせいもあってか、そこまで長い列ではないのに手続きを終えて空港から出るのに2時間以上かかった。入国審査は以前動画で見たほど粗々しいものでは無かったが、言葉が出てくるのにいつもより少し時間がかかるくらいの緊張感はあった。アメリカを出国する際のフライトの購入証明書を要求され、ダメ元で印刷していた請求書が役に立った。

空港を出たものの、ホステルまでのたどり着くのも一苦労だった。空港の周りというのもありバス停が無数にあるのだが、そのせいで仮に最寄りのバス停に居てもそのバス停から同じ終着点のバスは1時間に一度ほどの頻度であった。つまり時間に応じてどのバス停に行くのがよいかを調べる必要があり、もし目指していたバスに乗り遅れたなら違うバス停に移動しなければならない。これに気付くのに時間がかかり、バス停に行ってもバスがすでに出ており違うバス停に移動するというのを3回ほど繰り返した。

あまり眠れず蓄積した疲労感、車が右側通行の道路に困惑し、google mapも正確には機能してくれず、ただただ大きなリュックサックを抱え、現地の気候に合わないような厚着をして、なかなかバスに乗れない自分が惨めでどうしようもないくらいにイライラしていた。何とかホステルについた時には空港を出てから3時間ほど経っていた。ホステルについて初めて少し肩の荷がおりた、そんな気がした。


つづく。。

(Joshの海外体験記はきまぐれ更新中です。次回をお楽しみに♪)



「LAの空港から出たすぐの1枚。この後ホステルに行くまでも一苦労だった。」

「出発前の成田空港にて。」

英語コミュニケーション講座

元受講生 Josh(広島大学)