今から30年以上前、大学生の私は日本で通っていた大学の協定校のある米国アーカンソー州の小さな街に1年間留学をしました。英文学科で勉強していたし、留学に向けて英会話学校にも通い、ある程度は理解できるから大丈夫という、今思えばとても前向きで楽観的な心持ちでアメリカに向かいました。人生で2度目のアメリカで、このときは2名協定校に送られたので、もう一人の女子学生といっしょに伊丹空港からテキサス州ダラスで乗り換え、アーカンソー州の州都のリトルロックではなく、西寄りのフォートワースという小さな空港に降り立ちました。

 

その時の衝撃は今でも覚えています。大学でしっかり英語を聞いていたつもりだし、それなりに聞き取りは大丈夫だと思っていた自分の目の前が真っ暗になるほどの衝撃。それは、「南部訛り」というサプライズだったのです。一言も理解できませんでした。もう一人の学生と顔を見合わせ、お互い「わかった?」「全然・・・」という会話をしたのも覚えています。

 

日本の大学の先生はイギリス人とアイルランド人とアメリカ人がいましたが、自分の指導教官はアイルランド人だったため、また、日本で英語を教えている所謂ネイティブの方は割とクセのない英語を話すようにするので、空港に降りたった時に聞いた「南部訛り」は私の耳にとてつもなく異質なものでした。1年間で英語ベラベラになってやると意気込んでやってきた私は、出鼻を大きく挫かれました。

 

すっかり気持ちがしょげてしまった私は、当時協定校で日本人留学生のお世話をしていた、以前日本で長く住んでいたアメリカ人夫妻のところに行った時に「今まで来た学生はどれくらいで英語が話せるようになりましたか」と日本語で尋ねてみました。返ってきた答えは「そうね、だいだい夏休みが終わったくらいかしら、みんな苦労なくできるようになるのは」(留学期間は1月から12月)。夏休み後!じゃあ、私は8ヶ月くらいはうまくしゃべれないの?とすっかり気落ちしてしまいました。

 

結局1年の留学を終え、英語でのコミュニケーションに困らないようになって帰国しましたが、振り返ってみると、やはり楽にコミュニケーションが取れるなと感じたのは最後の4ヶ月くらいで、すっかりいい感じになった頃に帰国という感じでした。最初に3ヶ月くらいはまったく会話に入っていけず、聞いているだけ。もちろん「南部訛り」の壁もあったのですが。

 

会話に入っていけるようになってからは、みんなが使っているフレーズを試し、trial & errorを繰り返しながら、少しずつ上手くなっていきました。とりあえず真似るところから、ですね。そして、帰国後にはアイルランド人の先生に笑われるほど、南部訛りのある英語になっていました(今は違いますが)。

 

今はYouTubeやNetflixなどさまざまな媒体で多様な英語を聞くことができます。世界中に広がってそれぞれの国で発展した英語をぜひ聞いて楽しんでみてください。私のように現地に降り立って真っ青になることがないように!

 

当時のルームメートと一緒に

 

英語コミュニケーション講座

担当講師 Emma