アメリカの大学院へ向けて準備を進めていたのに、11月に入ってから急遽日本の大学院へ進路変更。冬期にある試験の出願の締め切りは12月初旬~中旬が殆ど。ただし、この時点で日本の大学院の出願に必要な「研究計画書」の書き方すらわからない状態だった。
そこから大学院探しが始まった。心理学をベースにいろいろ探してみたが、なかなか上手くいかない。元々アメリカでやりたかった心理学のコースをやっている大学院は一つあったのだが、私立大学。さすがに私立大学に行く余裕はない。ひたすら国立大学の「大学院×心理学」のキーワードで探してはいろいろな研究室を見てみたが、なかなかピンとくるものがない。
探すだけで日数が過ぎていき、一旦「心理学」と言うキーワードを外して探してみる事にした。7月に「子どもの為のグリーフケアサポーター」と言う養成講座を受けたのだが、その時に講師が語ってくれた「子ども主体」の考え方に目から鱗が落ちた経験をした。それを思い出して、その講師の専門分野である「精神看護」と、日本の大学に行くならここへ行ってみたいと思っていた大学の名前を掛け合わせて探してみた。そして、とある研究室のホームページに辿り着いた。
たどり着いた研究室のホームページの最初の一行を読んだだけでピンと来た。私のやりたい子ども系の研究もしている。まだこの時点では、一旦日本の大学院へ行った後にアメリカの大学院へ進学と考えていたので、2度目の修士を考えていた。ひとまず研究室は見つけた。ここの大学院は出願するにあたって指導教授と事前に話をしなければ出願が出来ない。でも、教授と話をするにしても具体的な研究内容を考えていない。指導教授に連絡するまでまた日数だけが過ぎていった。
最終的に教授とzoomで話が出来る事になったのが締め切りの半月前。事前に履歴書と簡単に書いた研究計画書を渡しておいたのだが、簡単に私がやりたい事を話した後に教授から「(年齢的に)時間もないし、修士を持っているのだったら、博士で出願しなさい。」と一言言われ、「あ、ではそうします」と、自分に受験資格があるのかどうかもわからない状態であっさりと「博士」で出願する事が決定した。
が、ここで困った事になった。「博士」で出願するなら、「修士」で出願するより「研究計画書」をしっかりとしたものにしなければならない。そして締切日の15:00までに大学へ書類が届くようにするのであれば、確実に間に合わせるには2日前の夕方までに郵便局へ持って行かないといけないので、実質準備期間が2週間を切ってしまった。書かなきゃいけない事がわからなさ過ぎたが、書かないで諦めるより、ボロボロでもとりあえず今書ける所までを見よう見まねで書いて出願をした。
それから1ヶ月半後に大学院の試験が行われた。受験をするにあたりラッキーだったのが、「博士」へ切り替えたおかげで受験科目が外国語「英語」になった事。もし「修士」で受験をしていたら、1ヶ月で「専門科目」か「統計学」の勉強をしなければいけなかったので、とても受かっていたとは思えない。博士課程では、英語の論文を沢山読む事になる。よって試験で求められているのは英語で書かれた研究論文が最低限理解出来るかと言うもの。面接は人生経験と平常心だけを持参して受けてきた。
アメリカから日本へ大学院を切り替えた事により一つ懸念していたのが英語の事。感覚派で英語は未だに「よくわからない」と思っている私だが、今までずっと大学では英語を使って授業を受けていたので、「日本語で授業受けられるかな?」と言う、ばりばりの日本人で日本語ネイティブなのに変な心配をしていた。これに関しては、私が進学する大学のこの特定のプログラムの博士課程は授業が全て英語で行われ、研究室も英語が第一言語になるとの事。そして、論文も最初から英語で書くようにと言われ、私のちっぽけな悩みはあっさりと消えたのであった。
4月から某国立大学の博士課程へ進学する事が決定した。「日本の大学を受けても受かる自信はないし、文を書くのが苦手で、卒論なんて絶対に書けないからアメリカに行く」と言うのが、そもそも高校卒業して1週間後にアメリカ向けて留学した理由だった。未だに書く事に関しては苦手意識が高いが、その私がこれから日本の大学へ進学し、卒業論文より確実に枚数の多い博士論文に挑戦しようとしている。4年後に博士論文を書き終えた時に、高校生の時の私に何て言ってあげようかと今から楽しみにしている。
大学キャンパスにて
英語コミュニケーション講師
Dakota
Dakota